パワハラを受けていた過去の自分にかけてあげたい言葉
ふとしたときに、前の職場のことを思い出してしまう。
今考えれば立派なパワハラだった。
大勢の前で言葉で攻撃すること
机やドアなどを叩く蹴るなどして物に当たること
不機嫌な様子を隠すことなく周りの人に当たり散らすこと
そういう人たちがなぜ上に立てるのかがわからない。
毎日、逃げたかった。
我慢するのが当たり前になって、トイレに逃げ込むことも多くなった。
そのうち文字通り息をするのも苦しくなり、いろんな病院に行って検査をしてもなんの異常もなく、
最終的にたどり着いた心療内科での診断は「不安障害」だった。
「不安が強く出ている」と言われて、なぜだか少しほっとした自分がいた。
「ああ、これで休める」
ある仕事を自分にしかできない状況というのは、誇りややりがいが感じられるときはいいけど、
大きな負担に感じるようになってからは「逃げ道がない」「わたしがやらなきゃ」と思うようになった。
(今になって思うけど誰か一人にしかしかできない仕事ななんてないよね。ただただ仕組みの問題だった)
うつ病の患者の状態を表す言葉でよく言われる「真っ暗なトンネルの中にいる状態」そのものだった。
この環境にい続けると何らかの形で死んでしまうのでは、という恐怖と、
どうにかして楽になりたい、逃げたい、そのためには
死を選ぶしかないのではないかという希死念慮に毎日苛まれていた。
最愛の人と巡り合えて結婚して一番幸せなのに、
仕事のことを思い出すと胸が苦しくなって、
休日でも横になることが多くなった。
二度の休職を経て、一年ほどゆっくり休んだりフリーランスで自分のペースで働いて、
ようやくまた働きたい、チャレンジしたい、と思えるようになった。
今新しい職場で、過去のことなんてまったく心配する必要がないくらい穏やかな環境と人間関係なのに、
こんな風に昔のことを思い出して、怖くなってしまうことがある。
そんな時に思うことがある。
あの時辞めて本当に良かった、ということ。
体も心も見違えるくらい元気になった。
人生が楽しみになり、毎日生き生きと過ごせるようになった。
そう思うだけで過去の自分に「大丈夫、状況は良くなるよ」って言ってあげられるような気がするし、
そうすることで今の自分自身も慰められる気がする。
他人を励ますつもりで言った言葉が、実は自分自身に言い聞かせている言葉だった、ということがよくあるように、
過去の自分を慰めるつもりが、実は今の自分にも慰めになっていたのかもしれない。
だから他人にも自分にもかけることばは優しいほうがいい。
それはいつかまわりまわって自分を励ましたり慰めたり癒してくれる力があると信じているから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?