αくんは自閉症?
みなさまこんにちは。Janeです。
突然で恐縮なのですが、自閉スペクトラム症をみなさまご存知でしょうか。
説明の一例として以下を引用させていただきます。
と、まあこのような記述や図が現在のASD(自閉スペクトラム症)の説明基準となっています。(※個人差はあります)
先日、私の友人Eちゃんと▶︎奈良県議会の傍聴(リンク先に飛べます)、および、▶︎大和郡山市議会の傍聴 (リンク飛べます)へ行った話を書きました。
うちの一番下の子がAPD(聴覚情報処理障害)なので、補聴補助援助システムの一つ、ロジャーを助成金ありで使えるようになるよう議員さんたちに手伝ってもらい、【助成する】という決議に至ったお話しです。もし興味があれば読んでみてください。
そのEちゃんなのですが、地元奈良のこと大体知っていて、居住歴約10年の私はまだまだ青い。奈良の素晴らしさをEちゃんに教わっている最中なのですが、先日、Eちゃんと約束していた奈良は春日の『原始林』へと行ってみました。自然の造形は天からの美しさ極まる賜物だと思っている私は、そういう場所が大好きなのです。
そこへ行くのに、Eちゃんの次男くん、αくんもご一緒することになりました。
αくんはうちの末っ子と同学年です。
なぜ?
なぜ、自閉スペクトラム症の定義やイメージ図を先に転載したかというと結論から言うと、αくんは自閉スペクトラム症と診断されているからです。(療育手帳保持)
ん?んん?診断、されていると書いていいのかどうか、そこが問題で…。
実際は、Eちゃんの言葉を借りるとすれば、『αはカナー型の自閉症…と思われる、みたいな歯切れの悪い事しか教えてくれへんねん、ASDとは言われるけど』的なことを言っていました。
Dr.が、『この子は、わからん!今までに見たことない』と言うらしいのです。
私はαくんの幼少期からよく知っているし(保育園も下の子と同じクラス)、Eちゃんと深い議論を繰り返して今日まで来ました。
ご存知ない方向けに書きますが、我が家も長女ADHD、次女ASD、三女APDと診断されています。
うちにもASD当事者(次女)が居るし、私の生き別れした父親もASD以外何も該当しないであろう特性を持っている人だったので、身近にASDという存在・特性はあったため、他人事ではないというか、それなりに理解している“つもり“です。
確かにαくん、保育園の頃から保育士さんになんやかんや、と言われていました。Eちゃんの心痛を知っているのですが、筆舌に尽くし難い奮闘記がそこにはあります。
私がEちゃんに出会った頃は、Eちゃんは発達障害という言葉にアレルギーのような抵抗を、ネガティブなイメージを持っていたように思います。
あ、言っておきますが今日書いていること、出す写真はEちゃんの許可済みで忖度なしで書いてと言われているのでそうさせていただきます。
話は戻りますが、 そう、出会った当初は発達?というか障害?への考え方が私とは違いました。
ある日(ある程度片付いていた日を狙って)Eちゃんをうちへ招いた時、
『Eちゃん、今更やけど、私ADHDやで?』
といった時のEちゃんの驚愕の表情、そして固まる…というのが笑い話として思い出してしまいます。
Eちゃんの中でどれほど複雑な感情がその瞬間生まれたかはわからない。でもショックなのはショックだったと思う。自分が否定したい存在が目の前にいるという不思議なシチュエーション。
しかもその人、笑ってるw自分で肯定しとるw
Eちゃん言ってました。「人生で一番ショッキングな出来事だった」と。
それがかれこれ…何年前だ?5年位前??
“今“はEちゃんの発達障害(発達障害も名称が【神経発達症】に変化していますが、ここでは変化させずに表記します)に対する考え方、捉え方、関わり方が地球がひっくり返ったんか?っちゅう位、変わりました。
Eちゃんは、こんな体験もしています。
長男くんがまだ保育園の頃(彼も高IQ ASDで幼少期から文字を書いたり難しい本を読んだりしていた子で。)、Eちゃんがαくんを妊娠していてしかも出産間際というホルモンバランスカオス状態の時に、保育園の先生に『お宅の長男くん自閉症だから病院連れて行って(原文ママ)』と言われ、深い傷を負ったという出来事もありました。
今でも恐らく加配欲しさもあってか、発達障害児の(早期発見という名の)捕獲のような、遠洋漁業のような網目の細かい大きな網を使ってちょっと変わった子を見境なくキャッチするのに躍起になっているらしいです。
でも、親御さんに伝える必要性、タイミング、言い方、等々
何でもいいわけじゃないに決まってるじゃんね。
親御さんのメンタル、フォローが充分じゃない現状。改良の余地はここにもあるよー?と叫びたいけどね。
話と原始林を進めましょう。
ごめんこれ明かしていいのかわからんけど書きます、αくん小さい頃は家から脱出することがありました。頻回にという訳ではなく、家で工夫して対応していたようですが、脱走エピソードはいくつか聞いています。
めっちゃ頭使って脱走するんですよね。
事故には遭わなかったし今はそういうことは家では無い様子。
でも彼のもつエピソードは確かに、オモロイのが多いです。
オモロイんですよ。
一般・という名の尺度や色眼鏡で見れば、異様な光景、不可解な行動かもしれない。もちろん事故に遭っても良いだなんて誰も思ってませんから、それを回避できたのは、
さすがαくんやな
と思わせる。そんな子なんです。
それを、誤解を恐れず言っちゃったら、検診でも発達の異常なしと言われる普通学級の健常児という群の子どもだったら事故に巻き込まれるんじゃないか、その方が心配なんじゃないかと思うのです。
そんな無茶な事を良く書けるな…とお思いになられるかも知れませんが、そこが、Dr.が「わからん!」と嘆く所以なのかも知れない。
私もαくんを知れば知るほど、彼の秘めたる能力(秘めきれてないけど)は、単に自閉症という言葉で片付けられないと思い知らされるんです。
そもそも自閉症児って親密な関係を築くのが難しいと言われてますが、写真見てもらうと分かるように、山中(林中?)もずっとEちゃん大好き。
私はαくんと会ったことは何度もあるけど、こういうイベント的なことを、αくん、Eちゃん、そして私(外部の人間)という集団で行うのは初めて。
ハイキングが始まった当初は、
「先生がやってきた」
「先生バイバイ」
と必死に言っていたαくん。先生とは私のことで、αくんは今まで関わってきたいわゆる職業としての先生に対してあまり良いイメージを持っていない様子で(それも深く想像すると切ない話なのですが)、私も先生の一味だと感じ取ったのだと思います。
まあ、控えめに言っても「着いて来ないで感」がヒシヒシと伝わる伝わる。
そんな感じで、若干拒絶に近い否定的感情から始まったαくんと行く原始林の旅は進みます。
(私としては、うちの次女も大人に対してはそういう感じなので、逆にEちゃんの気持ちがよくよく解って(気にしやんといてやー)と思ってただけですが。)
林道を歩いていると、80歳くらいのおじいさんとおばあさん(超絶若々しい健脚さん達)から、どんぐりで作った小物をくれる、と声をかけられたのですが
αくん我関せずとスタスタ先を進む
原始林ですから、谷のようになっているところにガードレールなどはありません。自分の身は自分で守って、というスタンスです。
OH、ヤバい。というのと同時にチャンス到来、と思い、気のいいおじいちゃんの話し相手をEちゃんに任せ、αくんを追いかけるJane。
『αくーん、ウェーイト!ストーップ!ウェイトフォーミー!』
(αくんはGoogle先生からかなり発音の良い英語の語彙力を授けられています)
waitというと一応止まってくれるので、スタコラサッサと足を早めると、やはり逃げるように先に進んでしまうαくん。
この距離縮めてみせる、と足を早めるJane。
ウェイト、ウェイト言いながら、やっと追いついた。ゼエゼエ。
さて。【先生】疑惑晴らせるか。
2人きりになったわたし達。
さああなたなら、どうする?
相手は、自分に疑念を抱いている。
最も信頼のおけるお母さんが見当たらない。
カナー型自閉かな?わからん、けど、ASD…と言われている子ども。
見知らぬ場所、見知らぬ人(正確には見たことある事は記憶している筈)、訳わからん展開…。
αくんに、どう接しますか?
私の例が正しかったとは言わないけど、私はこう関わりを持ちました。
Jane:「ah、αくん、歩くの早いね、Janeさんツカレタよ。」
αくん:「Eちゃんは?Eちゃんは?」
Jane:「Eちゃんはすぐに来るよ。Janeさんと一緒に、待とう。」
αくん:「…」
Jane:「座ろうか?」
αくん、座る
Jane:(超初歩的な手話と共に)「Eちゃんと、Janeさんは、ともだち。Janeさん、先生とは、違うよ。Eちゃんと、Janeさん、ともだち。だから、Janeさんとαくん、ともだち。わかる?」
αくん:「はい」
Jane:「それじゃあ、一緒にハイキング行っても、いい?」
αくん:「いいよ(超早口)」
Jane:「ありがとう、Janeさん嬉しいなあ〜、HARIBO食べるか?」
αくん、HARIBOを開けようとするも開かず
Jane:「こっちから開けてみ」
αくん、HARIBO開ける
Jane:「αくん、JaneさんにHARIBOちょうだい?」
αくん:「だめ(超早口)」
Jane:「一個だけ。」
αくん:「だめ(超早口)」
Jane:「まあ、いっか!ゆっくりお食べ。」
と、まあこんなやり取りをしていたらEちゃんが辿り着きました。おじいさんのお話が長引いたおかげで、αくんの中にJaneさんという登場人物がほぼ確立されたと思われます。
なぜ手話を使ったのか(全部じゃないけど)というと、αくんが「何この人」みたいに、興味を示してくれたのと、私の手話が初級だから口調もゆっくりで、それも手伝ったのか何かは不明ですが、警戒心はだいぶ解除された模様。
そこからは私の知る限りでは先生バイバイは聞かなくなりました。
そんなこんなで、どういう訳かは知りませんが雰囲気が和み、林道を上へ上へと進みます。
私はEちゃんの友達だから、という理由でαくんをえこひいきする気は毛頭ありません。悪いけど。持ち上げるつもりも無い。だから正直に書いていると思って読んでください。
はっきり言って私もαくんがナニモノなのか、知りたい。
興味本位や好奇心、というよりも、とにかく知りたい。
そう思わせるに足る才能の持ち主で、#自閉症 #ASD などでは片付けられない。
だって、“診断基準“や“良く言われること“との乖離がすごくあるαくんの姿。ふとした刹那に思い知らされるんです、「こやつ、やるなっ!!」と思わされるんです。
例えばEちゃん宅にお邪魔した時、大体αくんはDVD観ながら(深海生物への軒並みならぬ知識は確かに如実にある)、粘土でいろんな動物やら乗り物やら食べ物をコロコロと姿を変え作って、気づいたらLaQで、ダイオウグソクムシ?か何かを、組み立て方見ながらパパッと作る。はい?という速度で。そんなもん、説明書見ててもそんな速度で組み立てる人そんなおらんで、という速度で。
別の日は私がEちゃん宅に私プロデュースのトレーナーを着て行ったら、
αくん:「ヴェロキラプトル」
と言いながら私の前を通り過ぎました。
答えとかヒントとか無しよ?
一般的に自閉症って言ったら…という発想を覆してくる。
と言ったら、発達に凸凹がある子は凸もあれば凹もあるでしょという人もおられるでしょう。無いとは言わん。正直、凸凹が極端な傾向もあるのかも知れないとすら思う。
小学校では特別支援級に在籍していて、他と同じペースで同じ勉強をしている訳ではない。同じ年齢の子たちと遊んだり、喋ったりする訳でもないと思う。
日常生活面までは私は密着していないので、どの辺までできてどの辺が苦手とかは良くは知らない。
人によって、親によって、考え方はそれぞれあると思うけれど、私は綺麗事じゃなく、学校で机並べようが並べまいが、そんなことはどうだっていいと思うんです。
αくんの表面的な部分しか“見れない“人は、αくんの能力は一般より“低い“とか“幼い“とか評価するかもしれない。(実際そういう人はいるそうなので。)
大概そういう人ほど、みんな違ってみんな良いとか言うんですけど、ほんまにαくんのポテンシャル解ってんの?て、思う。
解ってくれる人も居るそうなので、それは幸せなことで良いと思います。
でも世の中には、解ってくれる人がおらず、表面的評価で終わってしまう子どももいることでしょう。うちに秘めた能力は、もしかしたらあなたより遥かに上をゆく存在かもしれないのに。表面的評価しかできない人は無知で、そして罪だと思うんです。知らなかったからしょうがないじゃないか、じゃ無いんですよ。知ろうとしない、その怠惰なスタンスは罪と言っても過言じゃない。
人間って、表面だけじゃ、解らないでしょ?
αくんは定型発達児じゃないとは思うけど、じゃあ、定型発達児より劣るかというとそういう考えを持ってる人は戦々恐々としなさいと思うんです。
山林を登っていくのも、そりゃ、無駄話はしないし、1人で何か言ってるし、ずっとHARIBO食べてるし、超マイペースなペースだし、【枠】からははみ出てるんだと思う。世間のいう、<普通>という枠からは。
でもね、ずっと登ってくれたんですよ。
往復20000歩越えの、足元の整っていない勾配のついた林道をテクテクと。同じ年の子ども達ならとっくに駄々こねるんじゃないかっていうくらい、大人でも息切れする距離だったのに。自分のことしか考えられない、他者への共感が乏しい、協調性がない、根気がない、のならとっくにジタバタしてイヤイヤ言います。
そりゃ、「車にもどりたい」ということもあったけど、それでも歩き続けたαくん。
彼と、Eちゃんとたどり着いた若草山山頂は奈良盆地が見渡せる驚愕のVIEWでした。
ちなみにαくん、常日頃から鹿が怖いらしく、鹿を見るとしれーっと距離を開けていましたが、いわゆるパニックになったり固まったりは全然しませんでした。
普通自閉症だったらさあ〜…って、野暮な考え方なんだなあ。
登り道で一度も疲れたと言わなかったαくん、どんだけ健脚商売やねんと思いましたが。
私も疲労感はさほど感じず、それより原始林の美しさや、この絶景に心奪われ、新鮮な空気に体癒され、幸福を身に沁みて感じていたのです。
自分の家のベランダから見えるその場所に立っているという不思議。
ああ本当に、楽しい旅だ。私の脳は満足感に震えていました。
みんなと同じ行動ができなくてもいい。
あなたにできる、あなただけにできることがあれば。
これも、綺麗事でしょうか。
私も3人の子の親。いわゆる【障害】という名のつくものを持っている3人。(私もだが)
確かにできない、難しい、悩ましい、もどかしい、そんな部分もある。
そんなもん誰だってある。
だなんて、それは綺麗事だ。(と思う)
別にみんながイコールじゃなくていい。
「できないこともあればできることもあるよ」なんて、気休めにしかならない事だって、親の立場からしたらあるものだよ。
親は、子どもの将来のこととか真剣に考えなければならない宿命があるから、美談で完結できないんすよ。
親は自分の身を削ってでも子の幸せを願う。(摂理的には。例外もある。)
気休めの言葉も、毒牙のような言葉も、そんな親を救ってはくれない。
Eちゃんと話していたのですが、
Eちゃんは、診断もされていないし自分でも一線は引いていますが(←私の目から見ると非常に面白い現象)、とても特性を隠しきれていない人です。
ですが、そういう人に診断名は必要ないのでしょう。本人も望んでないし。
そんな彼女のことを良く理解してくれたのはご両親だったようです。特にお母さんはEちゃんが協調性のない(笑)行動をしていても、それを許容してくれるよう周囲の人に言ってくれる存在だったそうで、Eちゃんの“オモロイ“部分を全肯定してくれていたみたいです。
いわば、療育が家庭内で行われていたというか(あ、こんな書き方したら怒られちゃうかしら)、最大の理解者が一番側に居たというか。
だから、お母さんからしてもらったことを糧に、力にして子どもたちをサポートしている。
最初は発達障害なんて!!!という憤りを剥き出しにし気味だったEちゃん、この数年でサポート…いや、なんていうかそんな仰々しいものではなく、Eちゃんにとっては自然な親子関係を育んで、子どもたちに接しているんだろうなあ、と思うんです。
それが、αくんの能力を育んでるんだろうな、と。
あるがままを親に信じてもらえるのって相当幸福度高いと思うんですよね。
私ごとで恐縮ですが、私は全否定されて育ったので、自尊心なんてあってないようなものです。
なぜ生き延びているのかというと、母親より頭が回り、父親とは特に関係性が無かったから…?
私は否定され続け、それをある時期までは信じ、自分を見下していましたが…ある時悟りました。あ、こいつ馬鹿だと。(母親に対し)小学生には半分くらいは悟っていたと思います。
悟りを開いてからは気が楽になり縁を切りましたが、ADHDやその他諸々の症状は縁を切れないものなので、日常生活疲弊しています。
先ほど書いたEちゃんの場合お母さんという模範がいたのとは逆に、私は、決してあの親と同じになるものかという怒りが原動力となり、子ども達の存在を全肯定しています。人格を否定するような言葉はかけたことはありませんし、暴力も一度も振るっていません。その時点で母親には勝っている、と勝手に思っている次第です。
私とEちゃんの生育歴は違えど、きっと目指すところは似ているんだろうね。そんなことを話しながら下山しました。
αくんのことだけにフォーカスしてますが、まあ密着取材みたいになっちゃったのでお許しください。αくんのお兄ちゃんや、うちの三姉妹にも、それぞれヒストリーがあり、それぞれの輝かしい個性があります。Twitterで若干自慢げなテイストに仕上がってしまったかなと思ったものの、真ん中の子が異様なパワーを発揮している件を昨日の懇談で先生に報され、やっぱすげえわ。と正直思っています。
真ん中だけじゃない、上の子のことも、下の子のことも、親バカ発言発動したらきっとノンストップ急行なので、やめときます。
ま、それはどこのご家庭もほぼ同じかな?w
以下、手前味噌ですがなかなか良い感じの写真が撮れたので連載します。
2人の空気感を楽しんでください。
この記事を読んで、障害があるって可哀想という概念をぶっ飛ばしてもらえたら嬉しいです。
そもそも、Dr.でさえ正式診断名に拘らない、彼の成長を楽しみにしていらっしゃるそうですから。それは本当に障害があるのか、なんなのか、訳分からんくなってきますねw
じゃあ、全て幸せ、全て快適♪人生楽勝!か、というと全然ですけどね。
苦難の果てに、子どもの笑顔が待っていると信じたいから、身も心もすり減らしながらもなんとかバランスとりつつ、親も生きている。
そこは、発達障害とは無縁の世界に生きている健常の方々にも少しでも良いから想像してもらえたら嬉しいところです。
帰り、ヤドリギを見せてもらいました。Eちゃんの所有物じゃありませんがw
Eちゃんが長年親しみを持って関わっている木です。
この木の下を、3人で通って来ました。
幸福を願いながら。
では今回の記事はこの辺にしておきましょう。約10,000文字をあなたは読破しました。お疲れ様でした。
でももし【何か】があなたの心に残ってくれたら、私は嬉しいです。
この記事に関しては、Eちゃんの協力と理解があってのものです。ありがとう。
いつも私の好奇心に着火しまくってくれて、ありがとう。
αくん、ありがとう。先生 Janeさんは嬉しかったよ、一緒に綺麗な山を登れて。
これからも沢山、私を驚かせておくれ。
では、この辺で。
また次回の記事でお会いしましょう。ありがとうございました。
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