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30年日本史00132【人代後期】17代履中天皇

 さて、刺領巾は褒美がもらえると思い、喜び勇んで住吉仲皇子の首をもってやって来ました。ここで瑞歯別皇子は
「刺領巾が主君を殺したのは忠義に反する。しかしその功績に報いないことは信義に反する」
と言ってジレンマに陥ってしまいます。いやいや自分で頼んだのですから、いまさら何を悩んでいるのかとつっこみたくなりますが。
 そこで瑞歯別皇子は、このジレンマを解決する方法を見出します。それは、刺領巾にとりあえず大臣の位を贈っておいて、その後速やかに殺害するという方法でした。これで万事解決ですね。いやはや、ひどすぎます。
 瑞歯別皇子は刺領巾を殺害したところで、
「明日になったら大和に行こう」
と言いました。「明日」から「アスカ」という地名が生まれ、現在、刺領巾を殺害した場所は「近つ飛鳥」と呼ばれています。現在の大阪府羽曳野市、河南町、太子町あたり一帯のことです。
 「飛鳥」というと推古天皇や蘇我馬子がいた奈良県明日香村を思い浮かべる人が多いと思うのですが、大阪府内にも飛鳥という地名があるのですね。現在、大阪府河南町に「大阪府立近つ飛鳥博物館」があります。安藤忠雄の設計で、一風変わった造形です。
 さて、瑞歯別皇子は大和に到着後、
「今日は禊をして、明日になったら拝謁しよう」
と言います。刺領巾を殺したことで身体が汚れてしまったため、お清めが必要ということでしょう。身体以上に汚れている部分があると思うのですがね……。
 この場所は「遠つ飛鳥」と呼ばれています。奈良県明日香村のことです。一般に知られている飛鳥はこちらの方ですね。
 まあ、二つの飛鳥が「明日」という言葉から名付けられたとするのは、どうせ後付けだろうとは思います。
 反逆者を無事に始末したことで、履中天皇元(400)年2月1日、去来穂別皇子が即位し、履中天皇となりました。宮は若桜宮、現在の奈良県桜井市です。見事反逆者を殺害して帰還した瑞歯別皇子は、履中天皇にねぎらわれ、皇太子に立てられることとなりました。
 その後、履中天皇が即位した後の事績については特に伝えられていません。
 履中天皇6(405)年3月15日。履中天皇が崩御します。僅か5年間の治世でした。
 徐々に天皇の在位期間が短くなってきていますね。これまでは在位期間がやけに長く、享年も100歳を大幅に上回っていたのですが、このあたりから現実的な記述になってきたように思われます。

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