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30年日本史00102【人代前期】熊野のタカクラジ

 タカクラジはこんな話をしてくれました。
 タカクラジの夢の中に、アマテラスとタカミムスビが登場しました。アマテラスとタカミムスビはタケミカヅチを呼んで、
「葦原中国はひどく騒がしく、私の子孫たちは大いに苦しんでいるようだ。どうにか助けてあげなさい」
と言いました。するとタケミカヅチは、
「私が葦原中国を平らげたときに使った太刀があります。この太刀を下しましょう。タカクラジを介して授けてやれば良いでしょう」
と答えます。すると、夢の中で、アマテラスは突然こちらを向いて語りかけてきました。
「タカクラジよ。今からこの太刀を遣わす。そなたは目覚めたら天つ神の御子にこの太刀を献上しなさい」
 そしてタカクラジが夢から覚めると、本当に枕元にこの太刀があったというのです。ちなみにこの太刀は現在、石上神宮(いそのかみじんぐう:奈良県天理市)で祀られています。
 さて、この太刀が下された場所には熊野本宮大社(和歌山県田辺市)、熊野速玉大社(同県新宮市)、熊野那智大社(同県那智勝浦町)の「熊野三山」が建てられています。これらの神社は仏教的色彩が強く、神道と仏教が混ぜ合ったいわゆる「神仏習合」を体現した神社なのです。神武天皇の神話が作られたのは7~8世紀と考えられますが、その時点では神道の場として栄えていたはずの熊野大社が、その後いつの間にか仏教と融合していったのでしょう。
 さて、タカクラジのおかげで病から脱したイワレビコでしたが、そこから奥に進もうとすると、天からタカミムスビが呼びかけてきました。
「イワレビコよ。すぐに進んで行ってはいけません。この先には荒ぶる神が多いですから、天から八咫烏(ヤタガラス)を遣わします。八咫烏の導きに沿って進んでください」
 八咫烏とは、三本の足を持つカラスと言われています。といっても、古事記や日本書紀に三本足であったと書かれているわけではなく、平安時代の文献から三本足と書かれるようになったのです。中国の伝説上の鳥「三足烏」と混同されたためとも言われています。
 また、八咫烏は日本サッカー協会のシンボルマークに使われ始めたことで広く知られるようになりました。天武天皇が熊野大社に通って蹴鞠を行ったことにちなみ、昭和6(1931)年にシンボルマークに選ばれたとのことです。
 さて、イワレビコは八咫烏に導かれるまま進みます。古事記は、イワレビコが様々な人と出会い、名を尋ねると相手が自己紹介をした、という場面を連綿と描いています。つまり、八咫烏の導きに従った結果、敵対者に出会うことなく進むことができた上、出会った相手はみな名を名乗った、つまりイワレビコに服従することを誓ったというわけです。

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