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30年日本史00351【平安中期】大江山の酒呑童子

 ここで、本筋から離れた挿話を差し挟みたいと思います。寛仁2(1018)年、源頼光が4人の配下を連れて大江山の賊を討伐に向かった話です。これはいわゆる「頼光四天王」の伝説の元となった事件です。
 頼光四天王とは以下の4人です。坂田金時は童話「金太郎」の名で知られていますね。
・渡辺綱(わたなべのつな:953~1025)
・坂田金時(さかたのきんとき:956~1012)
・碓井貞光(うすいさだみつ:954?~1021)
・卜部季武(うらべのすえたけ:950?~1022?)
 源頼光による賊退治の伝説とは、次のようなものです。
 大江山に住む酒呑童子(しゅてんどうじ)という怪物が、配下の茨木童子(いばらきどうじ)らを使って京の若者を次々と殺していた頃、渡辺綱がたまたま通りかかった一条戻橋(京都市上京区)で、道に迷った女と出会います。女を助けようとして話しかけたところ、女は突然鬼の姿に変身しました。鬼は渡辺綱の首をつかんで飛び去ろうとしますが、綱はとっさに自分の首にからみついた鬼の腕を一刀のもとに斬り断ちます。
 渡辺綱は、切り取った鬼の腕を源頼光に見せに行きました。すると、頼光は「これは茨木童子の腕ではないか。茨木童子はきっと腕を取り返しにやって来るだろうから、7日間は家に籠もって誰も中に入れないように」と命じました。
 渡辺綱は言いつけ通り、家に籠もって誰も中に入れないようにしていましたが、7日目に摂津から伯母が訪ねて来ました。綱は事情を話すものの、伯母が「幼い頃大事に育てた報いがこの仕打ちか」と嘆き悲しむので、やむなく家に招き入れました。するとこの伯母はなんと茨木童子の変装であり、茨木童子は腕を奪い返して飛び去っていきました。
 この事件を受け、頼光ら5人は大江山に乗り込んで酒呑童子らを倒すことを決めました。
 彼らはまず、友好的なふりをして酒呑童子を訪ね、酒を飲ませます。渡辺綱と二度までも出会っているはずの茨木童子が、綱の存在に気づかないのはどういうわけかと思いますが、まあ伝説ですから仕方ないでしょう。酒呑童子らは酔っ払って動きを封じられたところで、殺害されます。
 害される瞬間、酒呑童子は「偽りなしと聞きたるに。鬼神に横道なきものを」と言い残して絶命したとのことです。「鬼でもこんな卑怯なことはしない」というのです。こんな後味の悪い勧善懲悪譚も珍しいですね。
 なお、現在大江山には「福知山市立日本の鬼の交流博物館」があり、数々の鬼伝説を展示しています。また、茨木童子は摂津国茨木(大阪府茨木市)を本拠とした妖怪であり、大阪府茨木市のマスコットキャラクターとなっています。

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