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30年日本史00105【人代前期】初代神武天皇即位

 敵対する者を全て屈服させ、イワレビコは、橿原宮(奈良県橿原市)に本拠を置いて国を統治し始めました。
 さて、イワレビコには日向にいた頃に産まれた子が2人いました。長男はタギシミミ(多芸志美々)で、次男がキスミミ(岐須美々)です。しかし、タギシミミとキスミミの母は地元の豪族の娘で身分が低く、この兄弟は次代の天皇に据えるにふさわしくありません。(私がそう思っているわけではなくて、当時の常識としてそう考えられていたということです。)
 そこで、B.C.662年、神武天皇はオオモノヌシの血を引く五十鈴媛(イスズヒメ)を皇后として娶りました。オオモノヌシといえば、三輪山に住む蛇の神でしたね。
 その2年後、イワレビコはいよいよ天皇として即位することとなります。辛酉の年1月1日。イワレビコは橿原宮(かしはらのみや:奈良県橿原市)で天皇に即位し、神武天皇となりました。この日付を新暦に換算すると紀元前660年2月11日となるので、2月11日を建国記念の日として祝日にしているのです。
 また、戦前期には「皇紀」という暦を使っていました。紀元前660年を皇紀元年として計算する暦です。例えば昭和15(1940)年に、皇紀2600年式典が大々的に行われたことは有名です。
 神武天皇が即位したとされる橿原宮には、現在、橿原神宮が建てられています。神武天皇を祀る神社ということで、相当な歴史があるのだろうと思っていたら、意外にも創祀は明治23(1890)年とのこと。明治国家を作り上げていく過程で、
「初代天皇を祀る社がないとまずい」
ということになって、遅ればせながら建てられたのでしょう。
 背後にそびえ立つ畝傍山が荘厳な雰囲気を持っており、明治時代の創建とは思えないほどに古式ゆかしい伝統を感じる場所となっています。
 かくしてイワレビコの東征が終了したわけですが、この神武東征は一体何を意味するのでしょうか。
 5世紀には大和(奈良)を中心としたヤマト政権が出来上がっていましたが、この政権が元々どこに端を発するものなのかが明らかになっていません。もしかすると当初は九州に根拠を持つ政権で、これが東に遷移して大和に行ったのかもしれません。
 この神武東征を邪馬台国の東遷と関連付けて捉える識者もいます。九州にあった邪馬台国が東に遷移して大和へ行ったものがヤマト政権だというのです。
 さて、即位した後、神武天皇は皇后イスズヒメとの間に、3人の子をもうけます。
 長男がヒコヤイ(日子八井)、次男がカムヤイミミ(神八井耳)、三男がカムヌナカワミミ(神沼河耳)です。このうち三男が第2代の綏靖天皇となります。

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