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30年日本史00349【平安中期】無駄に難解化する儀式

 儀礼上のミスを繰り返したのは、顕光ばかりではありません。少納言として顕光を支えるべき立場にある藤原庶政(ふじわらのちかまさ)もまた、手続を理解していませんでした。
 自信のなかった庶政は、右手に持つ笏(しゃく)と呼ばれる板の裏に、笏紙(しゃくし)という紙を貼り付けて、そこに式次第を書き付けておきました。つまりカンニングペーパーです。
 カンニングペーパーを使うこと自体は珍しいことではありませんでした。藤原実資の日記によると、実資の兄・懐平もこれを使おうとした記録があります。
 しかし庶政は、笏の表裏を誤り、カンニングペーパーが全員の目に見えるような形で持ってしまいました。これを見て笑わぬ者はいなかったと記録されています。
 また、勅符や官符に時刻を記入する際、庶政は顕光から時刻を尋ねられ、「戌の四刻」と答えるのですが、正しくは大和言葉で「いぬよつ」と答えるべきで、これも咎められました。
 当時、こうした儀式の手続に精通しているかどうかが、仕事のできる人材かどうかを判断する尺度でした。儀式については藤原実資が特にスペシャリストとして一目置かれていたようですが、実資に教えを乞うたり、十分な練習を踏んだりせずに本番に臨んでしまった顕光と庶政は、確かに軽率だったと言わざるを得ないでしょう。
 さて、現代に生きる我々からみると、顕光や庶政が失態をさらしたとは言っても、そもそも儀式の式次第が無駄に難解となっており、公卿たちが非本質的な儀礼にばかり腐心しているように思えます。
 今回取り上げた固関の式にしても、天皇の代替わりに勅使を出して諸国の関所を警固させることが本来の目的なのであれば、時間をかけず一刻も早く警固を命じる使者を送り出すべきでしょう。にもかかわらず、何日も前から準備をして儀式を手順通りに行うのは、反乱など誰も想定していなかった証拠です。つまり、本来は反乱を予防するための仕事が形骸化し、本質的な意味を持たないただの儀式となっていたわけです。
 「無駄に儀式を難解化することで仕事を増やし、それに適応できる人材とできない人材とで差異が生まれるように仕向け、できない者を皆で嘲笑する」というのは、今でも公務員や大企業の世界にみられる文化です。社会が、あるいは企業の業績が安定して、取り組むべき課題が少なくなったときにみられる現象ですね。
 庶民が飢餓に苦しんだこの時代が「社会的に安定していた」とは到底思えませんが、安定収入を得られるようになった貴族社会は一般社会と完全に切り離されていましたから、貴族だけが安定を感じ、非本質的な仕事を増やしていったのでしょう。社会問題が山積しているのに、平安期の王朝政治はいわば一般社会から目を背けながら独自に「完成形」を迎えたわけで、この時代の儀礼政治には首をかしげざるを得ません。

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