30年日本史00566【鎌倉前期】曽我兄弟の仇討ち 工藤祐経殺害*
さて、十郎には仇討ちの前にやっておきたいことがありました。五郎の勘当を母に解いてもらうことです。十郎は母を粘り強く説得し、最終的に五郎を許してもらい、
「私たち二人の小袖がみずぼらしいので、小袖を貸してほしい」
と願い出ます。この小袖は、のちに兄弟の形見として母のもとに届けられることとなります。
この場面は「小袖乞い」と呼ばれ、能や歌舞伎でも重要な場面として取り上げられています。
母からもらった小袖を着て、兄弟は次に箱根権現の別当のもとへ別れを告げにいきます。
二人は「矢立の杉」に着きました。かつて源頼義・義家父子が前九年の役に赴いたとき、戦勝を祈願して鏑矢を立てたという杉の木です。二人も矢を射立てて大願成就を祈りました。
箱根権現に到着すると、別当は再会を喜んでくれましたが、二人の決意を知ると、
「この太刀は、義経さまが木曽義仲を討つために上洛した際に、戦勝祈願のため箱根権現に奉納されたものだ。決してこの太刀をもらったことを他言してはならん」
と述べ、五郎に太刀を与えます。
二人はいよいよ富士の巻狩へと向かいます。連日狩りが続く中、二人は普通に狩りをしているふりをして仇の工藤をつけ狙います。二人が工藤を探していると、草をかき分けて鹿を追った工藤が突然目の前に現れます。いきなりの絶好のチャンスですが、十郎が慌てて向きを変えようとすると、馬の脚がツツジの根に引っ掛かり、十郎は転倒してしまいます。そのうちに工藤は走り去ってしまい、二人はこのチャンスを生かすことができませんでした。
その後、二人の前に鹿が走り出てきました。二人は鹿に向かって矢を放ちますが、矢は大きくそれて命中しませんでした。周囲の御家人たちは
「あんなに大きく外すなんて」
と不思議がりましたが、二人はあくまで仇討ちを目的にやって来たのであって、鹿を殺して余計な罪作りをしないよう心がけていたのでした。
二人は真夜中に工藤の寝所を襲うことを計画します。建久4(1193)年5月28日の深夜、二人は工藤の寝所に忍び入り、すやすやと寝ている工藤の枕元に立ちます。十郎は
「工藤左衛門尉。これほどの敵を持ちながら、だらしなくも寝入ったものよ。起きよ」
と言って工藤の肩を太刀で刺します。工藤ははっと目覚めて兄弟の方を見ていたかと思うと、事情を察して太刀を取って起き上がろうとしますが、その瞬間、兄弟は工藤を斬りつけました。倒れた工藤の体に、二人は交互に刀を貫通させるほど強く刺し貫き、とどめを刺します。
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