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30年日本史00122【人代前期】神功皇后の新羅征討

 仲哀天皇が崩御し、次の応神天皇が即位するまでの間、しばらく天皇不在の状況が続きます。神功皇后が天皇として即位したとする説(従って最初の女帝は推古天皇ではなく神功天皇だということになります)もあるのですが、現在の宮内庁の公式見解では神功皇后は即位していません。
 歴代天皇のうち、神に呪い殺されたのはこの仲哀天皇だけです。ちなみに人間に殺されたのは安康天皇と崇峻天皇の2人ですね。(その他暗殺説のある天皇は何人かいますが。)
 それにしても、アマテラスというのは非常に恐ろしい神ですね。西の国を侵略せよと命じ、この神託を信じなかった天皇を殺してしまったわけですから。
 仲哀天皇の葬儀が済むと、神功皇后と武内宿禰は再び神意を求めることにしました。神意は前回と同じく「西の国を攻めよ」とのことでした。そして加えて言うことには、「その西の国は、あなたの腹にいる子が治めるべきところである」というのです。神功皇后はどうやら妊娠していたようです。その子こそが次の天皇になるべき、とアマテラスは言ったわけです。
 仲哀天皇9(200)年10月3日。神功皇后はアマテラスが示したとおり、武内宿禰とともに軍勢を整えて船に乗って海を渡りました。すると強い追い風が吹き、さらに海の魚たちが集まって船を下から押し上げたため、船は新羅(しらぎ)の陸地に押しあがって国の中程にまで達しました。驚いた新羅国王は、かしこまって「天皇に永遠にお仕えします」と述べました。
 古事記が伝える日本神話は、科学的にあり得ないことが次々と起こるのですが、人代に入って以降は比較的大人しいエピソードばかりでした。人代でここまで荒唐無稽な話が出てくるのは非常に珍しいですね。ここで新羅国王に「お仕えします」と言わせているあたり、何とも身勝手なストーリー展開で、恥ずかしさすら覚えます。
 ちなみに以前述べた司馬遼太郎の叔父(陸軍少尉)が太平洋戦争末期に従軍し、朝鮮に行くことになったのですが、彼は「まあ朝鮮にゆくのもええやろ。武内宿禰は百歳か二百歳で朝鮮へ行ったというからな」と語ったそうです。地元、竹内峠の人々には、武内宿禰の伝説は広く信じられていたのでしょうね。
 さて、神功皇后は朝鮮に渡っている間に子が産まれそうになりました。そこで、子がまだ産まれてこないように、腰の周りに石を巻いて出産時期を遅らせたといいます。そんなことで遅れるのかどうか分かりませんが。そして、九州に帰ってから12月14日に子を産みました。この子はホムダワケ(誉田別)と名づけられました。後の応神天皇です。
 ちなみに、仲哀天皇が崩御したのが仲哀天皇9(200)年2月6日。ホムダワケが産まれたのは同年12月14日です。辛うじて整合性が保たれているといった印象ですね。
 ホムダワケを産んだ場所は、「宇美(うみ)」と呼ばれるようになりました。現在の福岡県宇美町で、魏志倭人伝の「不弥国(ふみこく)」に比定されている場所です。

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