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30年日本史00539【鎌倉初期】安宅の関と如意の渡し

 義経一行は、安宅の関(石川県小松市)で関守の富樫泰家(とがしやすいえ)の審議を受けますが、東大寺の勧進をする山伏になりすまして無事に通過します。その後、如意の渡し(富山県高岡市)では渡守の平権守(たいらのごんのかみ)に怪しまれますが、弁慶が
「お前が義経に似ているせいだ」
と言って扇で義経を打ちすえたため、平権守はすっかり騙され、無事に乗船できました。
 安宅の関と如意の渡し。この2地点のエピソードを混合した上で演劇として確立したものが、能「安宅」と歌舞伎「勧進帳」です。
 一行を疑う富樫は、弁慶に
「勧進のために諸国を渡り歩いているのならば、勧進帳を持っているはずだ。見せろ」
と迫ります。弁慶が
「勧進帳は秘伝であり見せるわけにいかぬ」
と答えると、
「ならば読み上げて聞かせろ」
と言います。弁慶は、たまたま持っていた巻物を勧進帳と偽って、それを広げて、即興で考えた勧進帳の文句をスラスラと読んでみせます。この文句が
「つらつらおもんみれば、大恩教主(だいおんきょうしゅ)の秋の月は涅槃(ねはん)の雲に隠れ、生死長夜(しょうじちょうや)の長き夢、驚かすべき人もなし」
で始まるなかなかの名文です。
 次に富樫は山伏の心得や呪文について問いますが、弁慶はこれにもスラスラと答えます。
 その後、富樫の家臣の一人が義経に疑いを抱きます。弁慶は義経に対し
「お前のせいで旅が遅れる」
と言って金剛杖で何度も叩きました。
 これにコロッと騙された富樫は、一行の通行を許可する……というストーリーだったのですが、この歌舞伎の脚本は徐々に洗練されていき、現在では
「富樫は義経と弁慶の変装を見破るが、主を打ち付けてまでも見破られまいと必死に演技をする弁慶の姿に胸を打たれ、騙されたふりをして通してやる」
というストーリーになっています。
 安宅の関跡には奈良時代創建と伝わる安宅住吉神社があり、「難関突破の神様」として親しまれているようです。また同地は「勧進帳の里」として観光スポット化しており、義経・弁慶・富樫の3人の像が立っています。

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