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30年日本史00567【鎌倉前期】曽我兄弟の仇討ち 十郎の最期

 工藤の寝所から外に出た兄弟は
「親の仇・工藤祐経を討ち取った!」
と大声を張り上げて名乗りました。しかし、周囲はしーんとしていて、誰も出てくる気配がありません。十郎は
「どこかへ逃れて自害しようか」
と相談しますが、五郎は
「そうすると、片田舎の素性も知れない人間に襲われて命を落とす可能性がある。むしろここで名のある武士と戦って名を後代にとどめることこそ本望ではないか」
と言って、あくまでここで頼朝配下の武士と戦って死のうと主張します。
 さて、曽我兄弟の前に最初に現れたのは平子弥平(たいらこやへい)という武士でした。平子弥平は事情がよく呑み込めないまま十郎に斬りつけられ、ほうほうの体で逃げ出しました。この平子弥平が事態を触れて回ったため、辺りは騒然とします。
 次にやって来た愛甲季隆(あいこうすえたか:?~1213)は五郎に右の肩を斬られ、その次にやってきた岡部五郎(おかべごろう)は十郎に左手の指を斬られます。それ以降も次々と謀反人を成敗しようと御家人たちが斬りかかってきますが、二人はこれを次々と倒していきます。
 最後に現れたのが、剛力で有名な仁田忠常でした。忠常は十郎に飛びかかり、左の肩先に斬りつけます。致命傷を受けた十郎は
「五郎はいないか。兄は討たれたぞ。まだ傷を負っていなければ、鎌倉殿に拝謁を賜り、我らの存念をお話しせよ」
と言い残し、息絶えました。
 一方、五郎の方は堀親家(ほりちかいえ)と戦っていました。不利とみた親家は逃げ出し、なんと頼朝の屋形の大幕を開けてそこに逃げ込んでしまいます。五郎はそれに続いて大幕の中に入っていきました。
 大幕の中には、怪力の童・五郎丸(ごろうまる)が待ち受けていました。その五郎丸は、外の状況を聞いて敵がいつ入ってきても良いように、わざと女の恰好をしていたのです。五郎が五郎丸は物の敵にも入らぬ女だと見誤って、油断してその傍を走り抜けようとしました。そこに五郎丸は抱き着いて引き倒します。さらに大勢の御家人がわっとやって来て、たちまち五郎は生け捕りにされてしまいました。

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