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30年日本史00146【人代後期】宋書倭国伝と倭の五王*

 さて、ここで一旦記紀を離れて中国の歴史書に目を移してみましょう。
 宋書倭国伝に、5世紀の倭国に関する記述があります。どんな内容かというと……。
・421年に倭国王の讃が朝貢してきた。
・讃の死後、弟の珍が即位した。珍の朝貢に対し「安東将軍・倭国王」の称号を与えた。
・443年。倭国王の済が朝貢してきた。「安東将軍・倭国王」の称号を与えた。
・済の死後、子の興が即位した。興の朝貢に対し「安東将軍・倭国王」の称号を与えた。
・興の死後、弟の武が即位した。
・478年。武が「私は東は55国、西は66国、北は95国を征服した」などと上表してきたので、「安東大将軍・倭国王」の称号を与えた。
 こんな感じです。中学で習う「讃・珍・済・興・武」の「倭の五王」というやつですね。
 済=允恭天皇
 興=安康天皇
 武=雄略天皇
の3人についてはほぼ間違いないのですが、讃・珍についてはどの天皇なのか、諸説分かれているところです。
 さて、「武=雄略天皇」については、重要な発見がありました。稲荷山古墳(埼玉県行田市)と江田船山古墳(熊本県和水町)から出土した鉄剣から
「獲加多支歯(ワカタケル)大王」
という文字が発見されたのです。「ワカタケル」とは、日本書紀に記された雄略天皇の別名です。また、稲荷山古墳の鉄剣には「辛亥年(しんがいのとし)」の年号があり、471年のものであることが明らかとなりました。
 つまり、少なくとも5世紀後半には、天皇の名が埼玉や熊本にとどろくほどの一大政権が出来上がっていたということです。
 雄略天皇の在位は日本書紀によると457~479年です。ここにきてようやく
・日本書紀の年号
・中国の歴史書の年号
・発掘調査で得られた現実の年号
が概ね一致するようになったわけです。
 鉄剣が出土したという稲荷山古墳は、行田(ぎょうだ)駅からバスに揺られること30分の立地にあり、きれいな形の前方後円墳です。その古墳から徒歩5分のところに、「埼玉県立さきたま史跡の博物館」があります。その博物館に、稲荷山古墳出土の「獲加多支歯大王」の鉄剣が展示されています。一見の価値があると思います。

稲荷山古墳のすぐそばにある「さきたま史跡の博物館」に展示されている鉄剣。残念ながら私が行った時はレプリカ展示だったが、時期によっては実物が見られる。

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