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激論昭和史007 昭和最大のパワーワード「統帥権干犯」が火を噴いた ~浜口内閣②~

金解禁の説明にもかなり紙面を費やしましたが、今回は「統帥権干犯」という極めて重要なのに分かりにくい概念を説明しなければなりません。
どのくらい分かりやすくなったか不安ですが、とりあえずアップしてみます。

乾パンをほおばる

リベ太「今日はちょっとしたおやつを用意してあるよ」

史織理「何ですかこれ? ずいぶんパサパサしたパンですね」

保守美「そう。昭和史研究会がオリジナルで作った乾パンです」

統帥権乾パン

左代子「その名も『統帥権乾パン』よ」

史織理「統帥権乾パン???」

リベ太「そう。統帥権干犯は昭和史を振り回すことになるパワーワードだ。軍部がやりたい放題に振る舞うための魔法の言葉だったわけだけど、それが初めて炸裂するのが今回取り上げる『ロンドン海軍軍縮条約』なんだよね」

右比古「俺も、何でもかんでも統帥権干犯だと言って相手を黙らせようとした軍部のやり方はどうかと思ってる」

史織理「右比古さんまでもが???」

右比古「までもが、ってどういう意味だよ」

保守美「そんなふうに評価されている『統帥権干犯』を理解いただくのが今回の目的です。では始めましょうか」

緊縮財政=協調外交?

リベ太「それでは、浜口内閣の外交を見ていこう。ロンドン海軍軍縮条約からだね」

史織理「確か、浜口内閣は立憲民政党だから、立憲政友会と違って協調外交なんですよね」

保守美「そうです。時の外務大臣は幣原喜重郎。協調外交の代名詞でもある有名な人ですね」

(復習)立憲政友会と立憲民政党の違い

史織理「立憲政友会が強硬外交で積極財政。立憲民政党が協調外交で緊縮財政。すごくきれいな分かれ方だと思うんですが、外交方針と財政方針って、何かリンクするところがあるんでしょうか?」

リベ太「良い質問だね。実は緊縮財政を取ると、自動的に協調外交を選択せざるを得ないんだ。逆に積極財政を取ると、必然的に……とまでは言わないけど、強硬外交を選択することにつながりやすい」

史織理「え? なぜですか?」

右比古「緊縮財政ってことは、政府の予算額を減らさなきゃいけないだろ? つまり軍事費を削減しなきゃならんわけさ。そのためには、軍事費に予算を割かなくても良いように振る舞わなきゃいけない。だから外交力で上手く戦争を避ける方向に持っていこうということになる。協調外交ってわけだ」

史織理「なるほど!」

右比古「だから、浜口たちの考えは結局のところ財政方針ありきで、それにつられて協調外交とやらを主張してるだけだぜ。確固たる考えがあるわけじゃねえ」

左代子「そんなことないわよ!」

世界的な軍縮の流れ

保守美「さて、当時の国際情勢はというと、第一次世界大戦への反省から、軍縮の流れが加速していました」

史織理「知ってます! 大正時代のところで、ワシントン会議というのを習いました」

リベ太「そう。ワシントン会議では、海軍の建艦競争に歯止めをかけようということで、ワシントン海軍軍縮条約が結ばれた。各国が保有する軍艦の総量に制限をかけようという条約だ。このとき決められた日米英独伊のトン数の比は覚えているかい?」

史織理「5:5:3:1.67:1.67ですよね!」

保守美「そうです。日本は、米英に比べて5分の3、つまり6割の軍艦しか保有できないということになったわけです。このワシントン海軍軍縮条約は無事に発効したわけですが、続いてロンドンでも海軍軍縮条約を締結するための会議が行われることになりました」

史織理「え? もう結んだんじゃないんですか?」

右比古「ワシントンで結んだのは主力艦を対象とした条約だ。ロンドンで結ぶのは補助艦を対象とするやつだ」

史織理「主力艦? 補助艦?」

右比古「やれやれ、何も知らねーんだな。主力艦ってのは空母と戦艦のこと。補助艦ってのは、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦などだ。常識だろ」

左代子「常識なわけないでしょ!」

史織理「巡洋艦とか駆逐艦って、聞いたことあるような、ないような……」

リベ太「明らかに高校日本史の範囲外だけど、戦争を遂行する上で主力となるのが主力艦。ワシントン海軍軍縮条約で主力艦には制限を加えることができたけど、それ以外の『補助艦』の建艦競争が際限なく進んでしまって、補助艦にも制限を加えなきゃいけない、というのが当時の世界情勢だったんだね」

条約派と艦隊派

史織理「それで、浜口内閣はロンドン海軍軍縮条約の締結に乗り気だったわけですね」

保守美「そうです。軍縮によって軍事費も削減できますし、何より際限のない建艦競争になれば、日本の防衛は不利になりますからね」

史織理「不利になる?」

リベ太「当時の米英の経済力を考えると、条約で縛られない自由な建艦競争となった場合、米英は日本の倍近い艦隊を保有してしまうかもしれないよね。それよりは、条約で日本が米英の6割まで作れると規定しておいた方が有利だからね」

右比古「それはどうかな。この後、満州を手にすることで日本の経済力は爆上がりだからな」

左代子「分からない? あなた今、他国への侵略によって経済力を高めることを何ら躊躇なく提案してるのよ」

右比古「満州事変は侵略じゃねえけどな」

左代子「侵略に決まってるでしょ!」

保守美「話題を元に戻すと、海軍の中でも『軍縮条約を締結した方が有利だ』とするグループと、『条約などお断りだ』というグループとがいました。二派に分かれて内紛が始まったんです」

リベ太「そう。条約締結を支持したグループを『条約派』、条約締結に反対したグループを『艦隊派』というんだ」

史織理「浜口内閣の海軍大臣はどっちだったんですか?」

保守美「海軍大臣は財部彪(たからべたけし)という人で、条約派でした。浜口首相と一心同体のようなものでした」

海軍大臣・財部彪(wikipediaより)

史織理「なら一安心ですね! 海軍大臣が海軍の中で一番偉いんですもんね!」

リベ太「実はそうじゃないのさ……」

史織理「え??? 海軍大臣より偉い人がいるんですか?」

リベ太「まあ、それは後で触れるとして、とりあえず条約調印への流れを説明していこうか」

全権団出発

保守美「ロンドン会議が開かれるに当たり、浜口首相は首席全権として、盟友の若槻礼次郎を送り出しました

首席全権・若槻礼次郎(wikipediaより)

史織理「あら。財部海軍大臣じゃないんですね」

保守美「財部海相もロンドンに派遣された全権団の一人ですが、首席ではありません」

史織理「若槻さんは当時、何の大臣だったんですか?」

リベ太「実は若槻は何の役職にもついていなかった。ただの貴族院議員の一人だよ」

史織理「え? それなのに首席全権になっちゃうんですか?」

左代子「それだけ浜口首相から信頼されていたのよ」

保守美「全権団がロンドンに向けて出発したとき、財部海相は奥さんを同行させたのですが、これが海軍の長老であった東郷平八郎元帥を激怒させてしまいます。東郷元帥は『軍縮会議は戦争のようなものだ。戦争にカカアを連れて行くとは何事か』と言ったとか」

史織理「東郷平八郎って、日露戦争のときに活躍した人ですよね」

リベ太「そう。日露戦争のときは57歳だったんだけど、ロンドン会議のときは82歳。東郷元帥は昔ながらの軍人で、条約には猛反対だった」

海軍の長老・東郷平八郎(wikipediaより)

左代子「生粋の海軍軍人からすると、軍艦をいっぱい作って海軍の活躍の場を増やしたいのでしょうね。それが国を滅ぼす道とも知らずに……」

リベ太「まあ、日露戦争で大活躍した英雄ではあるんだけど、ちょっと長生きし過ぎたかもしれないね。その東郷は艦隊派に属していて、条約派の財部が嫌いだったんだね」

右比古「ちなみにロンドンまで同行したという財部の妻は、『いね子』と言って、山本権兵衛の娘だ。財部は山本権兵衛の娘と結婚したことで引き立てられ、海軍大臣まで出世したとも言われてるぜ」

左代子「受験には絶対関係ないから忘れていいわよ」

ロンドン海軍軍縮条約への調印

保守美「昭和5年1月に……」

左代子「1930年ね」

保守美「ロンドンでの交渉が始まりましたが、このとき、日本海軍の艦隊派の面々からは『対英米7割は死守せよ』との条件が提示されていました」

史織理「締結するなとまでは言ってなかったんですね」

保守美「若槻は米英両国の首脳と頑張って交渉して、相手から最大限の譲歩を引き出しました。そこで引き出した数字が、対英米6.975割でした」

史織理「6.975割??? ほとんど7割じゃないですか! もう締結して良いんじゃないですか?」

保守美「若槻もそう考えました。あと一歩を無理に主張するよりは、ここらで手を打とうということで、若槻は浜口首相に電報で許可を取り、その場で調印したんです」

史織理「順調ですね!」

左代子「ここまではね。この後、どんな手続が必要か知ってる?」

史織理「調印を済ませたわけだから、次は批准ですよね。衆議院と貴族院ですか?」

リベ太「それだけじゃないんだ。枢密院がいる」

史織理「あ、あの老害……」

右比古「おい。これまでの説明のせいで、高校生にしては偏った知識になっちまってないか?」

左代子「いいのよ。枢密院は老害。そのまま教科書に載せても良いくらいよ」

史織理「せっかく調印した条約に、枢密院が反対したってことですか?」

リベ太「そうなんだけど、そもそも、海軍軍令部がこの条約に猛反対して、それを聞いた枢密院や野党・立憲政友会が条約に反対し始めたんだ」

史織理「海軍軍令部?」

保守美「そうか、海軍軍令部がどんな組織かを説明するには、まずは軍政と軍令について説明しなきゃですよね」

リベ太「ここからがいよいよ、最も難しい統帥権の説明に入るよ。頑張ってついてきてね」

軍政と軍令

保守美「大日本帝国憲法を作ったときの話に遡りますが、衆議院と貴族院からなる帝国議会にどこまでの権限を持たせるべきか、議論になりました」

史織理「ずいぶん遡りましたねえ」

リベ太「帝国議会の権限って、何があるか知ってるかい?」

史織理「えっと、現在の国会の権限とあまり変わらないんじゃないですか? 例えば、法律を作る……」

リベ太「正解。他には?」

史織理「政府予算を作る……」

リベ太「まあ、作るというか、政府が作った予算案を承認するということだね。他には?」

史織理「あとは……内閣総理大臣を選ぶというのがありますけど、戦前には議会の権限じゃなさそう」

リベ太「そうだね。戦前期は、内閣総理大臣を選ぶのは元老の役割だった。大体正しく理解できてるようだね」

保守美「いま史織理さんが挙げてくれた中に、予算や法律の審議というのがありましたね。陸軍も海軍も、法律や予算に基づいて仕事をします。そういう意味で、陸軍も海軍も、ある程度は議会のコントロールを受けながら仕事をしなければならないわけです。議会のコントロール下にある予算や人事といった事務を『軍政』といいます。軍部の中でも政治的な部分ですね」

史織理「ふむふむ」

リベ太「でも、陸軍と海軍は、もう一つの分野については絶対に議会のコントロールを受けたくなかった。それが『軍令』と呼ばれる分野だ」

史織理「軍令?」

右比古「作戦に関する事務のことだ。どこに何人くらいの軍を配置するかといった話は、作戦の中枢だからな。議員たちに知られるわけにいかんだろ」

保守美「そうです。つまり軍事は『軍政』と『軍令』に分かれるわけです」

史織理「『軍政』は議会のコントロールを受ける部分で、『軍令』は受けない部分というわけですね」

左代子「バカな話よね。議会のコントロールは軍事全てに及ぼさないと、議会制民主主義とはいえないわ」

保守美「陸軍・海軍ともに、『軍政』を担当する部局と『軍令』を担当する部局を明確に分けていました。陸軍において『軍政』を担当するのが陸軍省で、『軍令』を担当するのが参謀本部です」

史織理「参謀本部って聞いたことあります!」

保守美「そして海軍において『軍政』を担当するのが海軍省で、『軍令』を担当するのが軍令部です」

軍政を担当する内閣と軍令を担当する統帥部

史織理「あ、さっき登場した、軍縮条約に反対した軍令部ですね」

右比古「参謀本部のトップは参謀総長で、軍令部のトップが軍令部総長だ。そして参謀本部と軍令部を総称して『統帥部』と呼んだりする

リベ太「これは若干おかしな名称なんだよね。そもそも参謀というのは作戦を考える人たちを意味する言葉で、陸海軍共通のものなんだ。それに軍令というのも作戦を立案したり実行したりする事務を意味する言葉で、陸海軍共通のものなんだ。それなのに、参謀本部といえば陸軍の組織で、軍令部といえば海軍のものなんだよね」

右比古「ちなみに、明治時代には参謀本部というのは陸海軍共通の組織だった。途中でそこから海軍軍令部が独立したんだ。当初は海軍軍令部長というのがそのトップだったんだが、参謀総長に比べていまいち格が低そうな役職名だから、『海軍軍令部』を改め『軍令部』に、『海軍軍令部長』を改め『軍令部総長』に改称したんだ」

史織理「なんか、陸軍への対抗意識を感じますね……」

リベ太「対抗意識は確かにあったと思うよ」

保守美「それでは問題です。陸軍大臣と参謀総長は、どっちが上でしょう?

史織理「え? 軍政と軍令のどちらが上かということですよね。それはまあ、予算や人事あっての作戦ですから、軍政の方が上なんじゃないですか?」

右比古「つまり、陸軍大臣の方が参謀総長より上だという回答だな」

保守美「答えは、同格です」

史織理「同格……」

リベ太「つまり、陸軍大臣は参謀総長に指示を出すことはできないし、同様に参謀総長も陸軍大臣に指示を出すことはできないんだ。陸軍にはトップが2人いたということだね」

保守美「海軍も同様です。海軍大臣と軍令部総長は同格で、互いに指示を出す権限はありませんでした

右比古「まあ、正確にいうと、陸軍のトップは教育総監を入れて3人いるんだけどな」

左代子「まあ教育総監の話はまた今度ゆっくり話しましょうよ」

史織理「トップが決まっていない組織だと、意見が対立したときに困っちゃいそうですね」

リベ太「まさに軍縮条約をめぐって、その事態が起きてしまうんだ」

議会のコントロールはどこまで?

保守美「話を戻すと、大日本帝国憲法において、『議会のコントロールを受けるのは、軍政だけ』というルールができたわけなんです。つまり陸軍大臣や海軍大臣は、議会に呼ばれて説明をする義務がありますが、参謀総長や軍令部総長はその義務がありません」

左代子「確かにそれが通説だけど、私は疑問を感じてるわ。大日本帝国憲法のどこを読めばそうなるのよ」

右比古「よしよし。バカにも分かるように説明してやろう。まず第55条を見てくれ。『国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず』と書いてあるだろ?」

史織理「輔弼……?」

右比古「輔弼というのは、助けるという意味だ。つまり国務大臣が天皇を助けて行政を執り行うというわけだ」

左代子「だから陸軍のことは陸軍大臣が執り行えば良いじゃないの」

右比古「いやいや、それとは別に、第11条の『天皇は陸海軍を統帥す』というのがあるだろう。統帥というのは軍の作戦行動のことだ。この統帥権が第55条とは別個の規定としてわざわざ設けられているということは、統帥権は国務大臣の事務ではないということになる。つまり、『統帥』というのは『国務』から独立したものであって、国務大臣である陸軍大臣と海軍大臣は統帥権は持っていないんだ」

国務と統帥は別?

保守美「確かにそれが一般的な説明ですね。もし統帥権を国務大臣たる陸軍大臣・海軍大臣が持っているのなら、第55条が全てを物語っているわけですから、それとは別個に第11条を設ける必要はないわけです。第11条の存在が、統帥権の独立を証明しているといえます」

左代子「おかしいわよ。帝国議会というものを設置した意義は、国政を議会のコントロール下で行わせることにあるのよ。『統帥権』だけが議会のコントロールを受けないなんて、憲法を勝手に軍部に有利なように解釈してるだけだわ」

リベ太「確かに、憲法に『参謀総長』や『軍令部総長』といった役職名は一切登場しないし、『統帥権は国務大臣の輔弼の範囲外』と明示されているわけじゃないんだ。第11条の存在からそのように読めるというに過ぎない。すごく微妙なところだよね」

統帥権干犯問題

保守美「さて、浜口内閣は、財部海軍大臣率いる海軍省の了解だけを得て、軍令部の了解を得ることなくロンドン海軍軍縮条約に調印したわけですが、ここで統帥権干犯問題と呼ばれる問題が勃発しました。つまり、『海軍の補助艦の保有量を定めるのは統帥権に属する事項なのに、これを内閣が勝手に行った。内閣が統帥権を干犯した』と主張する者が出てきたんです」

史織理「それ、誰が言い出した主張なんですか?」

リベ太「当時、海軍軍令部長だった加藤寛治(かとうひろはる)という人物だけど、まあ受験対策上は覚えなくても良いかな。加藤寛治は勝手に天皇に謁見し、『軍令部としてはこの条約には反対です』と上奏した

海軍軍令部長・加藤寛治(wikipediaより)

史織理「え? 内閣とは反対の意見を勝手に天皇に言っちゃったんですか?」

リベ太「昭和天皇もびっくりしただろうね。そういうわけで、軍政を扱う内閣が、軍令を扱う統帥部の反対を押し切って条約に調印したことが適法だったのかどうか、帝国議会でも大きく取り上げられることになったんだ」

保守美「実際、補助艦の保有量を決めることが軍政、軍令のいずれに該当するのか、微妙なところですね。私としては組織の在り方の話ですから、軍政ではないかと思うのですが、当時は意見が真っ二つに割れました」

史織理「それが今日のテーマの統帥権干犯問題なんですね。ところで一つ疑問なんですけど、対英米7割を主張していたのが、6.975割になってしまったことって、そんなに問題だったんですか?

リベ太「良い質問だね。その程度の差でなぜ猛反対したのか僕も疑問に思ってるんだよ。結局、艦隊派の面々は、本音では条約締結それ自体に反対してたんだろうね。でも、世界各国が軍縮しようと言っているのに、日本だけそれを反対するわけにもいかないし、ここは『対米7割』というどうせ達成できなさそうな高めのボールを投げて、『それが受け入れられないから条約に反対』と主張する作戦だったんじゃないかな」

左代子「それが、若槻さんが有能過ぎて意外にもほぼ達成できちゃったのよ。それで、僅か0.025割を問題にして条約に反対したのよね。仮に7割を達成してても、何かしら文句をつけて締結に反対するつもりだったんじゃないかしら?」

右比古「いやいや、そうじゃない。対英米6.975割は良かったんだが、巡洋艦や潜水艦の保有量について問題があったんだ。軍令部の反対にはちゃんとした理由があるんだぜ」

左代子「そうかしら? 後付けのような気がするわ」

統帥権の独立を支持した立憲政友会

保守美「浜口内閣にとって予想外だったのは、野党・立憲政友会が『ロンドン海軍軍縮条約への調印は統帥権干犯である』と言って攻撃して来たことでした」

史織理「??? 政友会が攻撃して来たのは予想外だったんですか?」

左代子「そう。議会政治を支える二大政党の一翼を担う立憲政友会が、まさか『議会は軍部をコントロールできない』という主張に味方するとはね。議会政府の自死に等しい行為だわ」

リベ太「そう。立憲政友会の犬養毅や鳩山一郎は、浜口内閣が統帥権を干犯したとして追及を強めたんだけど、このことは、後で政友会が政権を取ったときに自分の首を絞める結果となったんだ」

立憲政友会総裁・犬養毅(wikipediaより)
立憲政友会所属議員・鳩山一郎(wikipediaより)

史織理「犬養毅も鳩山一郎も、後で首相になる人ですよね? 何で議会政治家なのに、議会政治を否定するような主張をしたんでしょう?」

右比古「与党の失点になってくれれば何でもいい、と思ったんじゃねえか? ポリシーがねえよな。今の野党と何も変わらねえぜ」

リベ太「議会で揉めに揉めながらも、この時点ではまだ世界恐慌の影響がさほど顕著に表れていなかったこともあって、国民の多くは浜口内閣と軍縮条約を支持していた。枢密院は当初、統帥権干犯問題を理由に条約批准を認めない方針を示していたんだけど、浜口の圧倒的な人気の前に屈して、1930年10月1日、遂に批准を認めたんだ」

左代子「議会政治が軍部に勝利した瞬間よ。浜口内閣をもって、政党内閣は一種の完成形を迎えたといえるわ」

右比古「そうか? 浜口は経済政策で大失敗してんだぜ?」

左代子「うるさいわね」

保守美「しかし、浜口内閣は不幸な出来事によって終焉を迎えることになります」

リベ太「ここでまた休憩を挟もうか」

史織理「気になる……!」

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