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30年日本史00183【飛鳥】大化の改新とは何だったのか

 さて、中大兄皇子による改新政治を見てきましたが、大化の改新については実に様々な評価があります。 
 一般的に、大化の改新の意義は、蘇我氏の手に渡っていた統治権を天皇家の手に取り戻した点にあるとされています。事実、大化の改新では公地公民制を布き、豪族の私有地や私有民を認めないこととし、豪族が権力を握らないようにしているのです。 
 しかし、これは日本書紀の記述を鵜呑みにした場合の理解です。戦後になって「大化の改新の実像は全く異なるものだったのではないか」との見方が現れているのです。 
 まず、当然に誰もが疑うポイントは、 
「蘇我蝦夷・入鹿父子の専横は後世の創作で、実際には蘇我入鹿は卓越した政治手腕を持った人物だったのではないか」 
というものです。中大兄皇子による政変を正当化するために、蘇我氏を悪者にしたという説ですね。 
 歴史書は、編纂者と対立した勢力を悪く描くものです。この程度の改変は当然疑ってかかるべきでしょう。 
 さらに、歴史家たちの中には 
「大化の改新の黒幕は中大兄皇子ではない」 
といった主張をしている人もいます。黒幕については、孝徳天皇説や蘇我石川麻呂説がありますが、詳細を解説するとキリがないのでここでは触れません。 
 最も過激な説としては、 
「蘇我蝦夷・入鹿父子は既に天皇家を滅ぼし、自ら天皇に即位していたのではないか。そこで旧天皇家の血を引く中大兄皇子が皇位を奪い返したのではないか」 
というものが挙げられます。 
「舒明天皇の後、実は蘇我入鹿が天皇に即位していた。天皇家は途中で途絶えていたのだ」 
とは歴史書に書けません。そこで、皇后・宝皇女が「皇極天皇」として即位していたというフィクションを作り上げ、その皇極天皇の下で「蘇我氏が独裁的に振る舞っていた」というストーリーになったというのです。 
 もしそうだとしたら、乙巳の変は現職の天皇を殺害した大事件ということになりますね。 
 こうした説を唱える文庫本や新書が次々出版されていますが、そもそも情報量が圧倒的に少ない時代ですから、学術的な探究でアプローチするには限界があり、どれも決め手に欠けると言わざるを得ません。飛鳥時代について新たな文献の発見などは期待できませんから、現代を生きる我々としては、とりあえず日本書紀に沿った通説を理解することとして、あとは想像することで楽しむことしかできないでしょう。

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