着るものを変えたら前向きな自分になれた
「シンプルイズベスト」を免罪符にして、特にこだわりのない服を着ていた。
でも、そんな自分がきっと後ろめたかったんだ。
それに気がついてしまった。
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後ろめたいと書くと語弊があるかもしれない。ファッションに興味がないのは罪ではない。それを悪いことのように言うと、過去の自分を否定することになってしまう。
少し太いシルエットのズボンと、さらさらとしたオーバーサイズのシャツを買って着るようになった。1、2年後にはこの太めの流行りも廃れてしまうのかなとも思いつつ、僕は約10年ぶりに流行りのファッションをマネしている。
これがこんなに気持ちに影響を与えるなんて思っていなかった。
鏡を見ると、今までと違うシルエットの自分がいる。なんだかやっとその辺の20代になれた気すらしてくる。
服にお金をかけるのは馬鹿らしいと思っていたし、それは負のループの入り口とすら考え、敬遠していた。
今はユニクロでそれなりに安くて品質が良くて流行りのものを着ることができる。本当に素材と縫製にこだわるなら話は違ってくるだろうけど。
ファッションオタクの人たちの気持ちが少しわかってきた。とことん自由で、組み合わせが無限にあって、その中で流行りの傾向があって。でもやっぱり自由で。
繰り返しになるけど、僕は本当に「そっち側」の気持ちが一生わからないと思っていた。オシャレがなんだ、僕はダサくていいんだと殻を作って閉じこもっていた。
少し流行りの格好にシフトしたからといって、オシャレになったというつもりはない。けれど、自分を少し好きになれたのは事実だ。
この服を着て歩くのが楽しい。目を見て人と話せる。思ったより大きな変化があった。
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なんだか嬉しいな。着ていく服に悩むのが嫌で同じ服ばかり持っていたのに、今はどれを着ていこうと悩む時間すら楽しい。それが今だけだったとしても、とりあえずは楽しみたい。
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カメラやレンズの値段がおかしいせいで、金銭感覚がバグってしまったのもいいのか悪いのか、50000円のダウンジャケットを安いと感じるようになってしまった(さすがに買ってないよ)。いまだに10万円以下のレンズを安いと思っています。
とはいえ服をたくさんコレクションしたいだとか、そういう気持ちはまだない。あまりお気に入りではない服たちと決別しないと狭いクローゼットがいっぱいだなーって思う。
…意気込んで書き始めたはいいけど着地点を見失ってしまった。
今はいろんな服を着られるのが楽しいって思っています。
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