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「上手い」のその先


即興でラップをすることに憧れていた時があって、どうすれば上手くなるかばかり考えていた。

しかし即興のラップ、つまりフリースタイルが上手いラッパーたちは口を揃えて「上手いだけじゃダメ」と言った。ラップは練習すれば誰でも技術はつくから、もっと人生の経験を積んで人間としての深みを増したほうがリリックに味が出ると。

僕は「そんなのいいから簡単に上手くなりたい!」と思った。でもラップの才能は僕にはなかった。やっぱり上手い人はかっこいいとその時の僕は思っていた。

◇◇◇

「上手いだけじゃダメ」を理解できるようになったのは最近のことだ。僕がラップに飽きて写真を始めてからのこと。

写真は好きだったから続けられた。そしてだんだん上手くなった。

以前より水平に撮れるようになった。とはいえ実は今でもほとんど水平出しをソフトで現像時におこなっている。しかしパッと見て歪んでいる写真が分かるようにはなった。

バランスのいい色や、どういうシチュエーションで撮れば被写体が魅力的に写るのか、そのだいたいの正解がわかる。〇〇構図と呼ばれるいくつかの構図も、使うことはほとんどないにしろ頭には入っている。

でもそれが何?と思う。とりわけ平面アートとしての写真作品において「ピントが合っている」だの「水平が取れている」だのは全く意味がない。

「写真は実は撮影者を写している」という話を聞いて納得した。不思議なもので、写真からその人がどういう人間なのかが滲み出る。

ときどき、僕はつまらない写真ばかりを撮っているなと嫌になる。水平で、被写体が真ん中、あるいは三分割の交点にいて、ピントが合っている。だから何?それでその先は?

ようやく理解した。「上手い」はつまらない。これはきっとどの世界にもあるんだと思う。想像で書くので間違っているかもしれないけど、上手いだけの歌とか、上手いだけの絵より下手だけど誰かを惹きつける才能に憧れる人は多いと思う。

◇◇◇

散々言ったけど、僕の結論としてはまだまだ「上手い」を極めようと思っている。僕は以前より上手くはなったけど、フリーのスチルカメラマンとして生計を立てている方と比べると下手くそもいいところだろう。あらゆるシチュエーションであらゆる被写体をどんな雰囲気にも撮れるのが上手いカメラマンだと自分の中で定義付けている。そして僕はまだそこの足元にも及ばない。

いろいろな考えがあると思うが、僕はカメラマンと写真家の二足のわらじを今後も続けていきたい。写真家の部分がお金にならない以上、そんな表現すら適切でないかもしれない。カメラマンとしてきちんと仕事をして、空いた時間で自分の作品を作る。今の生活をもっと発展させていきたい。

◇◇◇

上手いだけの写真はつまらないが、素晴らしい写真家が下手である必要もないと思う。だから僕はまずはカメラマンとして上手くなりたい。スマホでいいやの時代にあえてカメラで撮る。AI生成でいいやの時代にあえて指でシャッターを切る。もうみんながやらないことを敢えてやる。

自分で決めたんだから。

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