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スナイダーカットにレズキャラが出ている件

スナイダーカットでは、アマゾン族で一人だけ特殊というか明らかに演出が異なる登場人物がいました。劇中では名前も呼ばれていなかったと思うのですが、どうも女王陛下とレズ関係またはそれに相当するレベルで親密であると匂わせていたように見えるのです。

ネタバレ注意:以下の文章は映画『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット』の内容に言及します。

▼レズじゃないかと思われる理由:

私がそう思う理由は複数あります。

劇中の表現:
- 他のアマゾンの戦士と比べて体型が締まってない。
- 他のアマゾンの戦士と比べて弱い。
- 他のアマゾンの戦士と比べて死後の扱いが丁重である。

作品外の考察:
- アマゾンには女性しか居ないので同性愛になりやすい?
- MCUのヴァルキリーもバイセクシャルであるという設定である。

以下では一つづつ確認していきます。

▼体型があまり締まってない:

まず問題の人物の画像がこれです。

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次に他の戦士の画像がこれです。

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ハンマーを振り回すボディビルダーの腹筋や相撲の力士ように踏ん張るスタントマンのストイックに引き締まった太腿や背中と比べると、問題の人物のボディはゆるいと言わざるを得ません。

女性だけで構成されたアマゾン族は、同時に最強の戦士集団でもあります。ここでは従来は男性が担ってきた役割を女性がこなす必要があり、むしろアマゾン族は男性よりも男性的に描かれている節があります。しかし問題の人物は、筋肉や闘志といった男性的な表現ではなくて、柔和で曲線が多い身体的特徴で構成されており、とても女性的です。

▼弱い:

問題の人物は封印施設で足手まどいになりました。殺されそうになる彼女を助けに戻ったせいで、女王は危うく脱出できないところでした。

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わざわざ戻ってパラデーモンを退治した女王は、この後に決死のスライディングで脱出w

そして問題の人物は平原でステッペンウルフに吹き飛ばされて馬の下敷きになりますが、それだけで絶命してしまいます。そりゃ弱いでしょ。屈強なアマゾン軍団の中において、彼女だけが普通の人間レベルの耐久力です。

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もしかしたら致命傷はステッペンウルフが攻撃するときに生じる電気ショックみたいなやつだったのかもしれませんが、彼女の活躍といえば「女王の馬を引っ張ってきた」のと「飛んでくる矢を掴んだ」くらいで、ほぼ活躍しないであっけなく死にます。これは客観的に見て弱すぎます

どうしてこんな人を女王は側近の護衛につけていたのでしょうか。少し意地悪な見方をすると「危機感を演出するため」というご都合主義で追加されたキャラのようにさえも見えてしまいます。

▼死後の扱いが丁重(一人だけ):

息を引き取った彼女を抱きながら悲しむ女王。BGMではアマゾン族のすすり泣く声のような音楽が流れています。

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誰だって命は尊重されるべきで、死は丁重に扱われるべきです。しかし、つい先ほどに百人近くが封印施設もろとも海中に生き埋めにされ、平原でも数十人がステッペンウルフに斧でぶった斬られた状況で、この人物だけフォーカスされるのはいささか不自然です。(倒れている他の戦士たちの死体を数カット挟むだけでこの違和感は消えたでしょう)

これは彼女が女王にとって「特別な存在」だったことを示唆しているようにも見えるのです。。。

▼女性しかいないコミュニティでの親密な関係とは:

別にレズとか百合とかみたいな物ではなくて良いのですが、人間のように相手を思いやれる心を持った存在が、互いに支え合い慈しみ合っているような閉じたコミュニティでは、単なる友情を超えた「ある種の親密な」関係が出来上がることは想像に難くありません。ましてや彼女らは命を懸けて国を守る戦士なのですから。

現実の世界でも、前線で戦闘に明け暮れる軍隊とか、任務中の潜水艦の中とか、閉鎖的な空間では男性同士でも、単なる友情を超えた絆みたいなものは生まれるものです。だからスナイダーカットのこのシーンも「単純なレズもの」だと結論づけるのは性急かもしれません。つまり、普通の世界に暮らしている私たちと、特別な世界に暮らしている彼女たちでは見えているものや常識が異なるので、表現を安易に私たちの文化や価値観で結びつけるのは良くないかもしれない、ということです。

また、同じく「閉鎖された空間で共闘する女たち」というシチュエーションでスナイダー監督には『サッカーパンチ(邦題エンジェルウォーズ)』という作品がありました。しかし、そちらでは衣装こそ性的なニュアンスを強調したものでしたが、登場人物がバイセクシャルな関係を持つという描写はありませんでした。私が鑑賞した限りでは「匂わせ」レベルもなかったと思います。本作は原作が存在しないオリジナル作品なので、どんな設定でも自由にできたはずなのですが、それでさえもそこまで踏み込まなかったので、つまりスナイダーに「その手の趣味」があるとは考えにくいです。

ただ、いわゆるシッパーと呼ばれるような人達が好む関係性や、歴史上の人物なら「織田信長と森蘭丸」のような雰囲気の女性バージョン、という可能性はありますよね、という感じです。

▼MCUのヴァルキリーの幻のバイセクシャル設定:

このシーンを見ているときに私の脳裏に浮かんだのは、MCUのヴァルキリーでした。彼女は『マイティ・ソー』の世界に出てくるキャラクターですが、北欧神話をベースにしており古代ギリシャ風の鎧を装備して剣で戦うというルックスは、DCのアマゾン族とよく似ています。

そんなヴァルキリーはコミックではバイセクシャルの設定なのです。

MCUの2017年の作品ではこの設定が分かるシーンは(撮影までされたが)全てカットされました。私はフェーズ3までしか視聴していませんが、明確にLGBTQだと示された登場人物は『エンドゲーム』でカウンセリングに参加する男性(ルッソ監督のカメオ出演)くらいで、MCUはこの方面の表現にはかなり保守的だったと記憶しています。(少なくとも2019年ごろまでは)

MCUとディズニーには保守的なところがあります。アベンジャーズはブラックパンサーが商業的に成功するまで完全にホワイト一色でした。スパイダーマンの黒人版が採用されたのはソニーが配給した(つまりディズニー圏外の)スパイダーバースでした。思い返せばディズニー作品で動物や魚を主人公に置くもの以外で非白人がメインの作品っていまだに少ないですよね。

その点、スナイダーは2017年に公開予定だったスナイダーカットの時点で既に非白人キャラクターに大きくスポットライトを当てていました。サイボーグは黒人だし、アクアマンはサモア人だし、ワンダーウーマンはイスラエル出身で、フラッシュはユダヤ人です。更にマーシャンマンハンターだけでなく、予定通りならグリーンランタンも黒人だったし、アトムは東洋人でした。米国資本の映画を米国出身の監督が撮っているのに生粋の白人アメリカンはバットマンだけなのです。こうして無理なく多国籍なバランスを形成している感覚は結構すごいと思います。

スナイダーも国際的なバランスに優れている人だったと思いますが、それを許可したDCにも理解力があるからでしょう。事実、2019年の『シャザム!』や2020年の『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』でもこの傾向は続きました。

このようにマイノリティへの理解があり、なんならそれがテーマになっている作品を作る(MoSの裏テーマは難民問題でありスーパーマン自身が部外者でありマイノリティとして語られる:カンザスという米国でも保守派の代表格といえる州の出身であるスーパーマンでこの設定に快く思わなかった白人層は少なくないだろう)ようなスナイダー監督です。だとすれば、彼は『ジャスティス・リーグ』で人種とは別の側面でマイノリティであるLGBTQの観客が共感できる部分も入れようとしたのではないか、と私は考えています。

・・・

本当はここからヴァルキリーについてもう少し深掘りしてみたいところなのですが、私はコミック版のヴァルキリーが同性愛者である理由や経緯について存じ上げないのでここらへんが考察できる限界です。どちらかというと作者とか時代背景といったメタ的な要素を知りたいですね。ちょっと情報が無さすぎて今回は考察が深められなかったので、いつかリベンジするかもしれません。何かヒントになりそうな情報を知っている、という方はコメントなどでご教示いただけると嬉しいです。

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了。

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