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曲がり角の魚料理屋①(店名のないグルメ紀行)

長崎の街はやけに混んでいた。

一日中休みを取れば4連休、というタイミング。
そんなケシカランことをするのは私だけかと思っていたが、世の中結構不真面目な人が多いみたいだ。

長崎の名物といえば、ちゃんぽん。
ちゃんぽんはうまいが、ここ数日ほぼ毎食ちゃんぽんで、そろそろ別のものが食べたかった。

どうしたものか。
あてがないわけではない。

まず、茶碗蒸し発祥の店。有名店らしく至る所で広告を見かける。
次に、これも長崎名物の卓袱料理を食わせる店。1人で行ってもいいらしい。
そして、おにぎりと長崎料理を出す店。これはもっとリーズナブルな人気店である。

ところが、実際に行ってみると、どこも予約で満席か、こちらのやる気を削ぐような長蛇の列。
さて困った。
本格的に困ってしまった。

ロスト・イン・ナガサキ

仕方がないので繁華街である観光通りの周辺を彷徨ったが、埒があかない。
空いていそうな店はなさそうである。

食いっぱぐれの危機だ。

危機を打開するには二つに一つ。
一つはコンビニやチェーン店に頼る。
もう一つはちょっと大通りから入ったところにある、入りづらそうな店に潜り込む。

旅の最中だ。
コンビニなどでは面白くない。
選択肢は自ずと一つに限られる。
仙台での成功体験だってある。

私は銅座と呼ばれる繁華街の裏道に入った。
すると小さな店が目に入る。
地元の人が来る居酒屋的な雰囲気だろうか。
魚料理が自慢のようだ。

だが問題は、なかなかに入りづらいことだ。
扉はしっかりと閉められていて、中の様子も見えない。
営業中であることはわかるが…結構なハードルである。

しかしこのままいけば餓死だ。
すまない、それは大袈裟過ぎた。
だが今宵の思い出が乱されるのは確かである。

人には勇気を奮って何かを成し遂げねばならぬ瞬間がある。
今がその時だ。

小さな居酒屋

私はガラガラっと戸を開いた。
もう、後戻りはできない。

中はこぢんまりとしている。
カウンター席が4席ほど、奥に四人がけテーブルが二つばかり。
その反対側にはちょっとした座敷もある。

店には板前のお爺さんとおしゃれなマダムがいる。
おそらくこのマダムが切り盛りしているようだ。
伝わらない例えだと申し訳ないが、作家の塩野七生に似ている。
板前のお爺さんはカウンターの奥で魚を無心に捌いている。

「こんばんは、一人なんですけど、いけますか・・・?」と私はマダムに尋ねた。
「カウンター席どうぞ」とマダムはいう。
私はそそくさとカウンターに座って、メニューを開いた。

マダムにお任せ

普通の刺身の盛り合わせと、鯨の盛り合わせがある。
長崎は鯨で有名らしい。
しかし昨日、私は鯨を食べたばかりだった。
今日は鯨ではない刺身にしよう。

メニューを見ていると、マダムがやってきて、
「ビールでしょ?」と聞く。
申し訳ないが、九州に来たからには焼酎を飲もうかと思っていた。
だがあいにく、焼酎の知識は全くない。

「えーっと、長崎の焼酎でおすすめはありますか?」と尋ねる。
「全部おすすめ」とマダムはキッパリいう。

こういうこと言われることは多いのだが、そんなことを言われても困ってしまう。

「特におすすめとかは・・・?」と聞くと、マダムは「こいつは何を食い下がっているんだ」という顔で、
「芋か、麦か、どちらがお好きですか?」という。

なるほど。といっても、私は全くわからないので、とりあえず、
「じゃあ芋で」という。こういう時は賭けである。

「芋ね。飲み方は?ロック?」とマダム。
「じゃあ・・・お湯割りで」今回も賭けてみる。だが、途中でちょっと不安になる。「・・・ロックの方が美味しいですか?」

「今日は寒いからお湯割りがいいと思いますよ」とマダム。
きっとロックを頼む人が多い、というだけのことだ。
確かにこの日、外は寒かったから、お湯割りは最良の選択のようだった。

しばらくして、おすすめの長崎のいも焼酎、お湯割りが出された。
そのタイミングで刺身を頼む。よくわからないので盛り合わせである。
アラカルトで頼むと、あり得ないくらい安かったのだが、「よくわからない」が勝ってしまった。

ご飯を頼むと、食べるタイミングで頼んでくれと言われた。
ご飯は欲しかったが、後から思えばマダムが正しかった。

こういう店の好き好みは分かれるが、マダムに任せるのが一番である。
そうでなくては出会えぬ味だってあるのだ。

そして、この時点で賢明な読者諸君はお気づきかと思うが、お湯割りと刺身は合わない。
仕方がない、これも人生である。

焼酎なるもの

私はほとんど焼酎なるものを飲んだことがない。
日本を旅すれば、たいていビールか日本酒となる。
嫌いというわけではないが、すこしあの香りと味に苦手意識がないこともなかった。

出されたコップを傾け、お湯割りを飲む。
香りや味はどきつくなく、ほんのりとしている。
それがお湯の熱さで鼻に抜ける感覚がたまらない。
芋の甘さも心地よい。

焼酎、いけるではないか。
やっぱり本場ということか。

フレンチのシステム

カウンターの向こうでは、板前のおじいさんが魚を捌いている。
職人という感じで、見ていて飽きない。
すると、カウンターの端にある厨房から、もう一人おばあさんが出てきた。
さっきまで気づかなかったが、この店は三人で回っているみたいだ。

マダムは基本的に客の相手か、酒の給仕をする。
おじいさんは魚を捌く。
そしておばあさんは焼き物や煮物を担当している。
まるでフレンチレストランである。

魚を食べるということ

お座敷にはおそらく長崎に実家がある、小さい子連れの親子が座っている。
マダムと、長崎に久々に帰ってきたら混んでいて驚いた、と言った会話をしていた。
向こうも刺身の盛り合わせを食べているらしい。
「まだ小さいのにしっかりお箸を使って、お刺身食べてえらいわね」とマダムが感心している。
そのやりとりがなんだか暖かい。

しばらくしてマダムがこちらにやってきて、
「向こうのお客さん、まだ小さいのにお箸でお刺身食べてるのよ。そうやって育てられてるのね。魚は体にいいですからね」
と嬉しそうにいう。
よっぽど感心したらしい。

魚を食べるということ自体が、一つの文化になる。
忘れがちなことである。

刺身と「野菜」

そうこうするうちに、刺身の盛り合わせが登場した。
かなり新鮮なようで、トビウオは美しい銀色である。
あとはイワシ、タイなど色々なラインナップだったが、正確なところは忘れてしまった。

まずはトビウオから。
箸でつまんで、ほんの少しだけ醤油をつける。
口に運ぶと、いい歯応えだ。
東京で食べるクニャッとした刺身と違い、コリッとしている。
味もしっかりとしまっている。

次にイワシだ。
私は青魚党なので、期待を持って挑む。
一口たべると、脂がのっていてうまい。
味も濃厚だ。
正直、こんなにうまいイワシを食ったことがない。

お湯割と魚の相性はよろしく無いが、そんな些細なことを乗り越える刺身のラインナップである。

長崎の矜持

「刺身はどうですか?」とマダムが尋ねる。
「歯ごたえがしっかりしていて美味しいです」と答えると、満足げに、
「長崎の人はね、歯ごたえがない刺身は認めないのよ」と言った。
さすがは海沿いである。
「魚は健康にいいからね」とマダムは残し、隣のお座敷の方へと去っていった。

ツマの大根なども新鮮でうまい。
私はペロリと全てを食べ切ってしまった。

「野菜もしっかり食べてくれて良かったわ」とマダムは皿を下げた。
ツマを野菜と表現する人をはじめて見たが、言われてみればそうかもしれない。

**

ふと壁を見ると、「イワシの蒲焼」なる料理がある。
先ほどのイワシを食うと、どうしたって気になる。

(つづく)

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