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血の記憶、地の記憶(高松、高松築港エリア)

私の先祖は高松の武士だったらしい。
筆頭家老だったと鼻高々に語る親戚もいるが、よくわからないので、その辺りはぼかしておくが、とにかく高松で武士をやっていたのは間違いないらしい。

だから、高松には行ったことがなかったが、私にとって一度は行ってみたい、というか、一度は行くべき場所だった。

発端

高松に行く機会が訪れたのは、7月の頭、日差しの強い日のことだ。
その時、私は淡路島にいた。旅行である。そして、淡路島から徳島へ渡り、友人と合流する、という算段だった。
ところが、その友人の到着が遅れ、思っていた日の次の日に会うことになった。そうすると、一日空くことになる。

淡路島にもう1日いる、というプランもなくはなかったが、気分的に四国へ渡る心算ができてしまっていた。
徳島に二日いても良かったが、すると友人と会った時に、何をしたらよいかわからなくなりそうだ。
そこで、思い出したのが、私のルーツの街、高松だった。

だから私は徳島に着いて早々、リュックだけ駅に預け、高松へと向かう「高徳線」という、非常に徳の高そうな列車に乗り込んだ。徳島から高松までは特急で一時間ほどである。

高徳線の車窓から見た徳島の蓮根畑。ちょうど蓮が咲いていて、あらためて「蓮」と「蓮根」が頭の中で繋がった。
蓮根畑を駆け抜け、山を越えた先にある香川の風景。かつて源平の戦いの舞台となった、平家の拠点、屋島。今では陸地と繋がっている。

街と海

一時間ほどかけて高松にたどり着いたものの、私はほとんどノープランだった。先祖の職場である高松城に行くことと、どこかしらでうどんを食うこと。
その二つだけをひっさげ、電車を降りる。

とりあえず観光案内所に行き、英字の市内地図を調達した。なぜ英字かと言うと、日本語の地図が見当たらなかったからだ。
めっぽう使いづらかったが、地図に書かれた「創造都市 高松」というキャッチコピーは嫌いではなかった。

地図や諸々のチラシを見ていると、やけに島への旅をお勧めしてくる。だけどきっと島に行くとなると時間も金もかかるだろうし、私はあまり乗り気ではなかった。とにかく城、そしてうどんだ。
私は勢いよく駅を出た。日差しは強く、とにかく暑くてたまらない。

駅前の広場。想像していたより「街」だった。高松は四国の政治経済の中心だと後で知った。

高松駅と「シンボルタワー」と呼ばれる高層ビルに挟まれた近未来的な円形広場を城を目指して歩いていると、「高松港はこちら」との表札が出ていた。
地図を見てみると目的の城はその港のすぐ隣だった。駅と港と城がここまで接近している街というのは珍しいと思う。
港があったら見てみたい。私は寄り道することにした。川や海を地図で見かけると、なぜだかとにかく目指してしまう。

ポートターミナルから見下ろした高松港

ほとんど初めて見た瀬戸内海は美しい色をしていた。
日本で目にする海は濃いブルーのことが多い。だが瀬戸内の海はどちらかというと淡く、エメラルドグリーンとターコイズブルーの間のような色合いだった。これが私にはとても美しく見えた。

そして、何よりも驚いたのは、港から見える瀬戸内の島々だった。
島陰はかなり大きく、近くにあることが見て取れる。それもひとつやふたつではない。多島の名にふさわしい無数の島陰が港に立つ者を圧倒する。その情景はなんだか幻想的だった。
遠いと思い込んでいたが、簡単にいけそうな距離。時間があれば行ってみよう。

高松城から

何もわからないままただひたすら目指してきた「城」は現在、「玉藻公園」という名前の公園になっている。入園料は200円。新宿御苑などと比べると安い。
私は襟を正し、先祖が通ったであろう門をくぐる。先祖も時には感じていただろう「仕事行きたくねえな」との思いを心に秘めて(武士はそんなことを考えないかもしれないが、武士だって人間だ)。

城の建物はいくつかの櫓や門を除いて、ほとんどは様々な理由で取り壊されており、再建もされていない(資料不足を理由に文化庁に再建を断られている)。その代わりに大正時代に建てられた「披雲閣」という巨大な和洋折衷の建造物がある。
歩いていて思うのは、下手に再建するよりずっと品がいいということである。高松の人々がどう思っているかは知らないが、これからも再建する必要はないと思う。玉藻公園自体、敷地は大きくないが、その落ち着いた雰囲気が好きだった。

現存する櫓の一つ。
この堀は歴史の交差点になっている。
高松松平家の大正時代の別邸「披雲閣」。時々入れるらしいのだが、この日は入れなかった。

印象的だったのは城と海との距離感である。
往時は城壁が海を囲い込み、堀には海水が流れていて、船が直接城に乗り入れていたらしい。現存する月見櫓は、そんな船を監視するものだったという。
それほどまでに城と接近しているものだから、天守閣跡からの眺望で美しく映えるのは、街並みや山よりも何よりも瀬戸内海だった。海が見える城は他にもあるけれど、高松城の海との近さは段違いである。海は城の外を走る一本の道を隔ててすぐ向こう。先ほど港からも見えた、巨大な島影が城からもよくみて取れる。まるで海の真ん中に城があるみたいだ。

天守閣跡から眺める。すぐそこに海が見える。

海の街

城といい、駅といい、この街は海を中心に出来上がっている。まるで街の中心の広場のように海がある。港町として整備された街ではないから、この辺りの人にとって海がいかに大切だったかがわかる。

高松でしばらく時間を過ごすうちに私にはお気に入りの場所ができた。それは、旅客船ターミナルビルから港に降りる階段を降りてすぐのところにあるテラスだ。
バーの椅子くらいの高さがある椅子とテーブルがいくつか並んでいて、椅子はすべて海の方を向いている。どこかの店の持ち物というわけではなく、誰でも、無料で、座ることができる。

夕暮れの高松港を望むテラス

このテラスにはもちろん私のような観光客も来るが、むしろ多いのは、憩いを求める地元人だ。宿題をしたり仮眠を取ったりする高校生、仕事をする会社員、だらだらと喋る人たち。
そんな色々な人が座るテラスが望む港も生活感にあふれている。船が来ては去り、去っては来る。観光客が行き来して、地元の中学生は友達と一緒に海の向こうを眺める。

高松の港は気取っていない。綺麗な港だが、商売といえば切符を売っているくらいだ。観光客もたくさんいるが、地元の青年たちの溜まり場でもある。
そんな高松の港を眺めている時間はすごく気持ちの良いもので、ずっと眺めていられるな、と思った。

テラスより。柵がないのが良い。
夜には夜の良さがある

昔から海の向こうに行きたかった。そして、新しい街に着くといつでも、海や川を探した。水面を見ていると落ち着くのだ。
ひょっとすると、その感覚を呼び起こすのは、この海の街で暮らした先祖からの血の記憶、地の記憶なのかもしれない。

何かを見失いそうになったら自分のルーツの街を訪れるのも悪くない。何か見つかる、そんな気がする。

海から見た高松

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