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過去の出来事は変えられないけど、出来事の意味は変えられる。

おはようございます。昨日、2年くらい前にバイトを辞めた子が久々に手伝いにきてたので顔を見にいったじゃこです。
#西野さんはフリー素材

さて、

アドラーに関する本を読んでいたら、久々に「西野亮廣さんの近大スピーチ」を思い返したので、それについて話します。

ここで、

「想像してください。

僕たちは今この瞬間に未来を変えることはできません。
そうでしょ? 『10年後の未来を、今、この瞬間に変えて』と言われても、ちょっと難しい。

でも、僕たちは過去を変えることはできる。

と西野さんがおっしゃっていました。

さらに、

たとえば、卒業式の登場に失敗した過去だったり、
たとえば、好感度が低い過去だったり、
たとえば、アホな相方を持ってしまった過去だったり、
たとえば、友達と一緒に恥をかいてしまった過去だったり。。
そういった過去を、たとえば僕の場合ならネタにしてしまえば、あのネガティブだった過去が俄然、輝き出すわけです。

『登場に失敗して良かったな』と思えるし、
『嫌われていて良かったな』と思えるし、
『相方がバカで良かったな』と思えるし、
『友達と一緒に恥をかいて良かったな』と思える。

僕たちは今この瞬間に未来を変えることはできないけれど、過去を変えることはできる

と。

未来は変えられない。というか未来は自分で選択するものなので変える変えないの問題ではないです。

当然、未来は変えられません。

では、過去は変えられるのか?

西野さんが「僕たちは今この瞬間に未来を変えることはできないけれど、過去を変えることはできる」とおっしゃったとき、「なるほどー!」たしかに過去は変えられるなぁ。と思った自分がいました。

けど、本当にそうでしょうか。

正確にいうと、過去の起きた"出来事"は変えられません。変えられるのは、過去の起きた"意味"です。

こういう風に僕は考えていたとき、アドラーの「目的論」という考えに出会いました。

「目的論」とはなんなのか、簡単に説明すると

人とあまり話さない人を考えると、その人が言うには「家庭環境が、、」や「すぐ転校するから友達作りはいらないと思って、、」など、いまの自分の現状(人とあまり話さないこと)に対して、過去がどうこうと、その過去に原因があるから今の自分形作られてるんだという「原因論」ではなく、

ある目的、例えば、「人と話すと傷ついてしまうようなことが言われるかもしれない。傷つきたくない」という目的があり、そのための自分を形作るというのが、アドラーのいう「目的論」です。

そして、アドラーをこうも言います。

「今の自分を肯定する人は過去の自分を肯定している」

と。

今の自分を積極的に肯定するとき、あなたは何を考えますか。

それは、過去起きたことを「いろいろあったけど、結局はよかった」と総括するのではないでしょうか。

これは、過去はやんちゃしてたけど、そのせいで先生が親身になって接してくれて今の自分が成り立っていると。

つまり、やんちゃしてた過去が結果として良いものになっていると自分で思い直しているわけです。

この場合、ある目的(立派な大人になる)のために、自分の起きた過去(やんちゃしてたとか)の意味を結果的に良いものに変えています。

西野さんの話に戻ると、

「僕たちは今この瞬間に未来を変えることはできないけれど、過去を変えることはできる」

というのは、

過去に起こった"出来事"は変えられないが、その出来事の"意味"は変えることができる。

ということなのではないでしょうか。

だって、西野さんの近大スピーチをみると、登場のやり直しをしていますが、登場のやり直しという出来事は変えられていません。というか関わった人の記憶を書き換えないと変えられません。

その登場のやり直しに意味があるように、スピーチをつくっているように僕は思います。

過去に起きた出来事の"意味"を変えるだけで、現状の自分が良いことにも悪いことにもなり得る。

だから、西野さんがおっしゃったことを丁寧にすると、

「『僕たちは今この瞬間に未来を変えることはできないけれど、過去を変えることはできる。』つまりどういうことかと言うと、過去に起こった"出来事"は変えられないが、その出来事の"意味"は変えることができる。」
(以下、抜粋)
「これから皆さんは社会に出ます。
様々な挑戦の末、
最高の仲間に出会えることもあるでしょうし、
最高のパートナーに巡り会えることもあるでしょうし、
最高の景色に立ち会うこともあるでしょう。


一方で、

涙する夜もあるし、
挫折もあるし、
傷を背負うし、
言われのないバッシングを浴びることもあるでしょう。
挑戦には、そういったネガティブな結果は必ずついてまわります。

でも、大丈夫。

そういったネガティブな結果は、まもなく過去になり、そして僕らは過去を変えることができる。

失敗した瞬間に辞めてしまうから失敗が存在するわけで、
失敗を受け入れて、
過去をアップデートし、
試行錯誤を繰り返して、
成功に辿りついた時、
あの日の失敗が必要であったことを僕らは知ります。
つまり、理論上、この世界に失敗なんて存在しないわけです。

西野さんのおっしゃることを解釈し直すと、"過去の出来事の意味は変えることができる"ので、この文章の最後の言葉、「つまり、理論上、この世界に失敗なんて存在しないわけです。」が身に沁みてきます。

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