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『性別「モナリザ」の君へ 』を読んだら1時間半かけて読書感想文書き上げてた話

上記の本を友人に勧められたのが3日前。
「とりあえず1巻だけ」
と購入し、帰ってから読んだら確かにすごく面白い。気づいたら翌日に残りの2〜4巻を買っていた。

そして内容の深さと社会への慧眼、絵の美しさに衝撃を受けた。
これが何年か何十年かぶりに読書感想文を書きたくなった理由です。
とにかく、この感想と感情を外に出さねば冗談でなく震えが止まらない。

しばらく語りますので、ネタバレが嫌な人はブラウザバックをお勧めします。
また、個人の感想なのでストーリーの把握が正確でないところがあるかもしれません。興味がある方は原作の購読をお勧めします。
「」でくくってある登場人物のセリフは、一言一句正確な引用ではなく内容を一部省略したものになっている場合があります。

【序論: 一言でいうと…(あらすじ含む)】

ここまで性別や性別に基づく人からの見られ方、恋愛と友情の境界線、「男らしさ」「女らしさ」に向き合った漫画を私は初めて読んだ。

この世界では人間は全員性別のない状態で生まれて、中学校に上がる段階ぐらいで女か男に「性長」する。だけど主人公「ひなせ」は18になっても性別がないまま。

幼馴染の「しおり」は男に、「りつ」は女になっても変わらずひなせと3人で仲が良いが、しおりとりつが同じ日にひなせに「男/女にするから私/俺と付き合って」と告白。

その時から3人の性別との葛藤が始まっていく…という物語。(ここまで無料公開されてる1話の内容。)

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ここから1話より後のネタバレがあります!読みたくない人や不安な人は退避してください。
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準備はよろしいでしょうか?
全てを喋ってしまわないように気をつけてはいますが「どれだけ喋っているか」は個人の感じ方の違いがあると思うのでご了承ください。

【本論: 3つの(個人的)ハイライト】

私の「ウッ」ときたり考えさせられたシーンやポイントを3つくらい語ります。

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①かっこいいともてはやされつつもかわいいものが好きなりつと、かわいいものも似合うよとりつに伝えられるひなせ

②「なりたい職業になりやすい性別を選ぶ」ことの現実世界での意味

③サラダを取り分ける女の子と、それを「女子アピール」と噂する人の存在
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順番に語ります。

①かっこいいともてはやされつつもかわいいものが好きなりつと、かわいいものも似合うよとりつに伝えられるひなせ

これが描写されてるシーンは泣いた。りつはかけっこが速くても男の子になりたいんじゃないし、かわいいピンクのものが好き。
それを「かわいいのも似合うよ。」とサラッと伝えるひなせがすごくかっこいい。

現実社会でも「男らしく」「女らしく」に全員が従う必要なんてないのに、何故か男=青、女=ピンク、に代表される決めつけが逆のものが好きな人を縛ってる。すごい窮屈。

こういう「根拠はないけど、なんとなく『みんな』そうするし、それが『普通』だから『そうあるべき』みたいな決めつけから自由になりたいし、何を選んでも軽蔑の意味で笑われたり、おかしいと言われない社会を作りたい。


②「なりたい職業になりやすい性別を選ぶ」ことの現実世界での意味

中学に上がったしおりとひなせの会話シーンで、まだ「性長」しないひなせがしおりにどちらの性別がいいか聞くシーンで出た、「なりたい職業から性別を選ぶのもあり」というしおりのセリフがずっしりと重い。

性別が最初から決まっていないこの世界線でも、

「花屋とか保育士とか、かわいいのになりたかったら、女になったら笑われない。」
「パイロットとか消防士とかかっこいいことしたかったら男。医者は男だと言い兄貴は男になった。」

という偏見まみれの決めつけが存在している。そして、しおりは中学で絵を描いていて「絵を描きたいなら何故女の子にならなかったの」と笑われ、
高校生になってから父親に「男が美大に行ってどうする」と進路を否定される。このシーンがとても辛い。絵が好きだから絵を描いてはいけないのだろうか。

そりゃ、肉体や体力的な違いはある。力仕事の難易度(男のアドバンテージ)や色彩把握能力の高さ(女のアドバンテージ※)は先天的に男女間の違いとして存在している。

※男性の色覚が3色なのに対し、女性の色覚は4色なので色の違いを認識する能力が高いらしい。
専門外なのでここは詳しい人に聞いてみよう。

参考はこちら→
http://plaza.umin.ac.jp/~PQJ/【医学生理学豆知識-第3回】女性は男性より色彩感覚が鋭い?

でも先天的な違いが「この職業は男の/女でないとおかしい」という拒絶や決めつけの根拠にはならない。

例えば、肉体的体力的違いを超えて、女性で体力筋力のある人はいるし、男性で花の世話や選ぶのが上手い人もいる。

偏見に夢や目標を折られないように、そして他人のそれを折らないように、立ち止まって少し考える時間が大切だなぁと思ったのでした。私も常に気をつけたい。


③サラダを取り分ける女の子と、それを「女子アピール」と噂する人の存在

このシーンが一番苦しかった。

男女4人ずつでカラオケ会に行き、頼んだサラダを「五色さん」という女の子が取り分けた。そのあと男子4人がトイレで女子のうち「誰がいいか」を話しているときに、ある男子が「(サラダをわけて)いかにも「女子」ってのをアピる人は苦手」というシーン。

ここには2段の問題構造がある。

1. 「サラダは女の子が取り分けるもの」という偏見
2. 女の子が「『女子アピール』がしたくてサラダを取り分けた」と決めつける人々の浅はかさ

ハァァァァ〜(ため息)

まず1つめ。この世界でも「取り分けは女がやるべき」みたいな旧時代的価値観が残ってるのか。性別が別れる前は「どっちがやるべきか」とかなかったはずなのに。不思議だね。

2つめ。サラダを取り分けた女の子は、それを「自分が女の子だからやらなきゃ」と思ってやったんだろうか。それは性別に関係なく彼女が優しかったからとか、近くにたまたま座ってたからとかじゃなかったのか。

何故彼女が「女子アピール」を「男子に向けてしたいから」サラダを取り分けた、に自動的に解釈されてしまうんだろうか。
女性でも男性でも関係なく、「助かるわ、ありがとう。」にならないのは何故。

この世界でも男女間の関係性の「もやっとする部分」が存在してるんだなぁと思いました。


【まとめ:なぜこの作品に震えるのか】

これはすごい作品です。もちろん絵も綺麗だし、青の使い方が素晴らしいし、とか他にもいいところ山ほどある。ここでは語りきれないくらい。

けど、特に「社会への慧眼」が私にこの文章を書く親指を走らせている。

性別がない状態で生まれた人間が、男と女に分岐していくことによって社会や人々からの扱われ方、声のかけられ方、罵声の浴びせられ方、期待される進路まで変わってしまう。
そのことの本質的な原因や歪みをSFという手段で見事に描写してある。
震えました。

そして私が震えたのは、性別に限らず全員が

「男/女/その他性別だからこうしないといけない」
「こうすべき」
「こうしないとおかしい」

っていう考え方から解き放たれて、自由になることを渇望しているからだと思う。

全員が自由になるために自身を縛る鎖を解くことが、そして他人を縛らないことが、現代の生きづらさを解消する重要な一つの手段なのではないか、と思うのです。

もしそんなことが実現したら、どんな性別の人が何をしてても、性別を理由におかしいと思われたりやりたいことを否定されることはない。

そんな世界に生きられる日が1日でも早く来ることをここ5年くらいずっと待っているし、自分にできる行動はしている。

自由の翼で壁を越えよう。

Written by じゃん@Note

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