物語を書くために

前回のnoteでお話した、

物語のテーマはひとつだけ

本当の自分を探す旅

ということをお話しました。
加えて、これだけでは書けませんともお話して、じゃあ書くためにはどうすればいいか?ということを今回から書いていきたいと思います。

物語を書くために、一番の大前提は、主人公にこの旅をさせることですが、その下の階層があって、そこに置くべきものがあります。それは何かというと、

物語とは、

虐げられる者の叫び

です。

これは、テーマがあって、設定があっての設定の部分に関係してきます。

何を書こうかなー?とボンヤリ考えるよりも、虐げられる者を探す、もしくは、作り上げると考えたほうが初動が早いんです。

ここでまた試しに、ご自身の一番大好きな作品を思い浮かべてください、今回は高低差ありすぎて耳キーンなるように、コメディがいいかもしれません。その作品の売りになっている部分を抜いて主人公が置かれている状況を考えてみてください。

どうですか?エグいくらいに虐げられていませんか?ヤバいくらい、悲劇です。

これにも例外はあるし、すべてとはいいません。ですが良質のものにはすべてこの叫びが含まれています。

なぜ、この叫びが必要なのか?
それは我々が生きている世界がそういう構造だからです。国と民衆、会社と個人、親と子、先生と生徒、組長と若頭、圧する者と圧せられる者です。いたるところにこの構造があって皆この構造の中にいて、それを体感しているのです。

だから、目の前でその物語をみせつけられると、いやがおうでも引き付けられる。

書けなくなった人へ伝えたいのですが、
じゃあ、簡単です。この叫びを書けばいいのです。

これは物語の本質と深く関わってくるのですが、すべての物語のベースは悲劇なんです。

昔学校で習った物語の起源ってギリシャですよね。物語といえるものの起源かもしれませんが、悲劇が生まれたあとに喜劇が生まれていますよね。

これ、逆はありえないんです。すべての物語のベースが悲劇だからです。

私もそうだったのですが、自分が書いた作品を面白いと言ってもらいたい、でも、言ってもらったことがないって人いると思いますが、それはベースが悲劇ではないからなんです。

主人公が虐げられていないし、置かれた状況から脱却したいという叫びが書かれていないからなんです。

これは書くジャンルを問わず共通のことです。何回もいいますが全てとはいいません。ですが、この叫びを書いていったほうが面白いと言ってもらえる近道です。

よくジャンルにこだわる人がいるのですが、大抵そういう人の話は面白くないです。なぜなら、この叫びが入っていないからなんです。このジャンルってこんな感じよねって感じでしか書かれていないからなんです。

物語を書く勉強を始めたばかりの人へ伝えたいのですが、練習をするのなら悲劇を書く練習をしたほうが早いです。

悲劇を書けるようになってはじめてジャンルにふりわけることができるようになるんです。

ただ、簡単に悲劇を書こうと言っていますが、そうそう簡単ではありません。なぜなら、そのエグいくらいの状況を書き手も体感しないといけないからです。体感しなくてもかけますが、体感しなければ叫びが生まれません。

以前、ある大御所と言われる方とお話できる機会があって、その方の作品でメチャクチャ面白い作品があって、でも、主人公は悲惨極まりない状況で。

聞いてみたんです。この話書くのはそうとうつらくなかったですか?って

答えは、こうでした。
何年も構想はあったけど、何作も書いて、これを書ける自信(精神的体力)がついたから書いた。

だから、やっぱり書くことはできるけれども面白いものを書くには、虐げられる者の叫びを書くには、自身の精神的体力、強さみたいなものをみにつけないとダメなんだなぁと痛感しました。

加えて、物語を書くには、悲劇を書く必要があって、悲劇を書くには、精神的体力が必要で。それはそうで、だれでもいい人でいたいし悪いことはしたくありません。でも、物語を書くうえで虐げられる者を書く必要があるし、同時に虐げる者を書かなくてはいけません。人間のモラルに反することも容認して書かなくてはいけないのです。この精神的重圧に耐えられるかどうかが才能の有り無しだと私は思いました。

次回も、物語を書くためのあれこれを書いていきたいと思います。

気に入っていただけたらフォローしてください。よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?