見出し画像

うっかりテレビ・ラジオ出演して人気者になってしまったために切腹したくなった話

2021年8月1日、タンザニアの国営放送局(以下TBC)のラジオに出演した。日本でいうところのNHKみたいなものだ。日曜日の午後、小一時間ほどパーソナリティとおしゃべりする小さなコーナーだった。

ラジオっ子の私は、タンザニアでの収録の様子がどんなもんなのかを知りたいという好奇心のみで引き受けた。タンザニア生活における珍経験としてまた一つ経験値があがる〜うふふふふ、てなくらいのノリだった。

今回、私がゲストとして声をかけられた経緯としては、NHK WORLDのスワヒリ語放送でのゲスト出演がきっかけとなり、それを聞いてくれていたTBCのパーソナリティの方(私が対談したご本人)が指名してくれたとのことだ。大変光栄なことである。

うっきうきドキドキして臨んだラジオ収録は大変楽しかった。全く想定していなかったが、公共電波の影響力は大きく、反響もとても大きかった。(現在進行形で続いている)

だがしかし、副産物的に自分の力の無さを思い知り、うんと悶々することとなった。今回は、そんなラジオ収録にまつわる小話を備忘録的に残しておきたいと思う。

突きつけられるコミュニケーション能力不足

タンザニア人のアベレージのコミュ力が著しく高いことについては最早疑いの余地のないことであるが(前回のnoteにも書いた)、それに輪をかけて放送局の方々は凄かった。パーソナリティなんかはその道のプロなのだ、そりゃうまいに決まっている。

彼らはオンエアーだろうとそうでなかろうと、時折爆笑を交えながらおしゃべりに興じていた。ずっと話しっぱなしで疲れないのだろうか?と心配になるくらいであった。

私の前にも一人ゲストが来ていたが、彼女は、放送持ち時間の1時間を20分ほど過ぎてもなお喋り足りない様子で、スタッフが周りで止めようと必死だったのが面白かった。パーソナリティのガンガナさんに半ば強制的に話を切られ、開口一番「まだ10分しか話してないわよ?」とケロっとした顔で言ってのけていたのには大変驚いた。

しかも、彼女はウィットの効いたジョークを連発してスタッフを何度も笑わせていたので、後続の私は無駄に緊張することになった。できもしないのに精神面だけ一丁前に芸人である。

そんな緊張の中、臨んだ生放送。あろうことか、私は踊らされた。

画像1

ラジオ放送だぞ。もちろん視聴者には見えない。

なぜこんなことになったのか。

理由は明白である。私の話術の欠如が災いし、持ち時間を盛大に余らせてしまったのである。

しかも、パーソナリティのガンガナさんは、事前の下調べもめちゃくちゃしてくれていた。私の細かい経歴はさることながら、Instagramから色々なおもしろ写真まで引っ張り出し、わざわざコピーして収録現場で見せて話のネタにしてくれたのだ。

それなのに。私の前のゲストは時間が足りなかったというのに。のに、のに、のに・・・・。

結果がこれである。汗だくで踊るアジア人。

実は収録後に聞かされたのだが、この収録の様子は後日テレビでも放映するためにビデオにしっかり納められていた。いかついカメラを抱えたお兄さんの存在には気づいていたが、Youtubeをやっていると言っていたので、一部を宣伝用に流すのかな?と思っていた。がっつりテレビでの放映だったとは。

そのために、私の頭上では照明が焚かれていた。激アツの熱が降り注ぐなか、空調がほとんど効いていない室内での収録はめちゃくちゃ暑かった。そんな中で踊ったので、私は汗みどろである。今年最大のこんなはずでは、だ。

これもそれも全部、私の話題提供能力が足りないからだ。

鳴り止まない電話

想像していなかったが、放送後、電話がめちゃくちゃかかってきた。

特に、テレビ放映後の方が凄かった。さらにDMが止まらなくなった。昼夜問わずスマホが鳴り止まない。ついに私はスマホの通知をオフにした。

ガンガナさんは放送中、機転を利かせて弊社の電話番号を公表することを控えてくれた。放送後に連絡が殺到することをわかっていたそうだ。代わりにInstagramのIDを伝えるだけに留めてくれた。彼の英断に感謝したい。(それでもパン屋の名前で検索したりすればすぐに電話番号は出てくる)

InstagramのDMは放送から2週間以上たった今でも来続けていて、合計1,000件は超えているのではないかと思われる。(Instagramの機能で、一度にたくさんメッセージが来ると、99件以降は件数が表示されなかった。)

さて、連絡してくれた人々は、放送中宣伝した食パンに関するお問い合わせか?と思われた。思われたというか、そう願っていた。

しかし、99%が「仕事をください」という内容の問い合わせだった。

残念ながら、弊社もコロナの打撃をもろに食らったので、結構ギリギリでやってきている。今、空いているポジションはないのだ。涙

仕事の電話もかかってくるため、電話がかかってきたら出ないわけにもいかず、応答すると、こちらの心の準備もできていないうちに、「困窮しているので助けてくれ」と、悲痛な嘆きを聞かされることになった。

中には、工房(兼私の自宅)までアポなしで直接来てしまう人もいた。熱意は認めるけれども、正直言って迷惑だ。私たちは、その都度作業の手を止め、突然の来訪者のために時間を作らないといけない。(パン屋だって忙しいんだぞ・・・!笑)

切腹願望を誘発するもの

数々の人がうちで働きたい!と果敢に連絡をとろうと画策してくれたが、一人だけ、強く印象に残った人物がいる。

彼は、他の数多の人と同じように電話をかけてきてくれた。ただ一つ、他の人と違ったことは、彼が電話先でビジネスの話を持ちかけてきたことだった。

彼の話はこうだった。

1. 自分はセールスの経験が豊富なので、パンをマーケットに売り込むことができる。

2. 個人的に孤児院をサポートしているのだが、その孤児院で朝食として提供する食パンとしてオーダーは可能か?

とのことだった。

特に、セールスパーソンについては、人員を増やそうかと検討していたので、経験者なら契約しても悪くないか、と思った。二つ目の孤児院についても、弊社としてサポートできることがあればそれは本望だ、と思い、一度詳しく話を聞きたいと思った。

ところが、後日やってきた彼の話を聞いてみると、なんと主題は彼自身の手術にかかる費用のカンパ依頼だった。電話でそれを話しても聞いてもらえないと知っていた彼は、彼なりに知恵を絞ったのだろう。

もちろん、彼が電話で提案してくれたことは嘘ではなかった。しかし、それ自体は条件が合わず、一緒にはできないこととなった。

私は仕方なく、彼の莫大な手術費用の足しになるかならないかわからないくらいの雀の涙のような額を渡し、お別れをした。

ラジオ放送の反響が思わぬ形でもたらした副産物を前に、私は見えない刀を引き抜き、腹を切った。小心のせいか脂肪が厚すぎるせいか妄想の中でさえうまく切れない。

自分の無力を思い知った。

「タンザニアにきて出会った青年を直接雇用したい」と思って始めたパン屋であったが、全然人は増やせないし、ビジネス自体も底辺を這いつくばりながらなんとかやっているレベルなのだ。

自分のことで精一杯な私は、本当に助けが必要な人に手を差し出すことができない。DMはあまりにも件数が多く対応できなくなって、ほとんど無視していることだし。

きっと放送されたインタビューの中で私は、「女神様」のように写ってしまったのではないか?もちろんそれは私が意図していないことで、インタビュアーの質問に正直に応えていただけなのだが、「どんな人でも助けてくれる人」のように写ったかもしれない。現実はそんなことないにもかかわらず!

※インタビューの内容はスワヒリ語ですが、主にこのページで語っているような内容を受け答えしました。


人一人ができることなんて高が知れている

少しく時間が経過し、少しだけ心の整理がついた。

「誰しも一人で全世界の哀しみを背負えるわけがないので、私は私にできることをやろう」

と開き直ることにしたのである。

いや、こんなに悩んでる風やったのに最後は開き直りか〜い!とツッコミたくなることだろう。すごく、よく、わかる。

でも、どんなに思い悩んだところで、弊社のパン屋の事業が明日から急拡大するわけでもないし、お空からお金が降ってくるわけでもない。

だから、思考法を変えるしかない。

私に今できることだって限られているのだ。

他力本願極まりないが、私ができないことについては、誰か他の人の琴線に触れ、それが良い方向にいきますように、と祈ることしかできないのである。

全部はできない。できないけれども、目を瞑って居続ける方が苦痛だったので、私はタンザニアにのこのこやってきてパン屋などしている。

奇異な目で見られることも多々あるけれども、何もアクションせずにいるよりは悶々とする時間は格段に減った。


放送を見たり聴いたりして、ここだったら仕事もらえるにちがいない!という思いで連絡をくれたたくさんのタンザニアの方、ごめんなさい。私はあなたが思っているほど優しくないし、力もないんだよ。

と、ここで懺悔しても届かないが。

コミュ力も欠如している私は踊り狂うしか能がないが、行くつく先もきっと微々たるものだけども、とりあえず私は今日も明日も一生懸命にパンを売る。



全編スワヒリ語ですが、私が出演した放送です。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?