ストロングイノシシスタイル
「何をそんなに悩んでいるんだ?」顔のすべてのパーツが丸っこい愛らしい顔つきの男が言った。
半年待った食パンのパッケージがようやっと出来上がらんとするまさにその日に、またもやサイズ違いの品を無理やり納品されそうになるという悪夢が襲来し、精魂尽き果て途方もない絶望の色を顔に浮かべた私をみて、パッケージ会社の担当者が言った。
そりゃ、悩みもするわな。と嫌味の一つや二つ、いや、百個でも千個でも並べたててやりたかったけども、攻撃力のある言葉を捻り出すHPすら残っていない。そもそも私のスワヒリ語の貧相な語彙力がそれを許さない。
サイズをミスっているということは、サイズ調整やら製版やらで更に1ヶ月、いや1ヶ月半かかることになるな。
防衛本能ゆえの最悪のシナリオを描いていると目の前が真っ暗になっていった。ぼうーっとする頭で、やけに愉快そうにニコニコしている彼の言葉を反芻してみる。
「何をそんなに悩んでいるんだ?」
何をそんなに悩んでいるんだ・・・これはつまり、あれだ、日本語言うところの反語のようなもので、要するに「悩んでいないでハッピーでいようぜ」ということか、と私は受けとることにした。
いや、真意は知らん。もしかしたら険しすぎる私の顔が凍てつかせた部屋を少しでも温めようとおどけて言ったのかもしれないし、何に悩んでいるのか純粋に知りたくて聞いてきただけかもしらん。
やうやう霞みゆく視界の隅で、チャーミングな笑顔の彼が私にかけてくれた言葉たちを、いま思い出している。たしか続けてこんなことを言っていた。
「生きてりゃいいことも悪いこともあるよ。自分でコントロールできることなんてあまりないくらいだよ。だから、災難なことにあってもあまり気に病んでちゃいけないよ。キリがないからね。それよりも、今日このあと食べるご飯のこと、家族のこと、楽しいことを思い浮かべよう!人生は長いんだよ。楽しまなくちゃ。」
めっちゃいいこと言うやん。
いや、これは事件が起きた数日後に書いているので、これらの言葉は私の記憶が捏造した夢物語なのかもしれない。それにしても、いいことを言っていた。
残念ながら当時の私は、応答不可能なほどに項垂れており、彼の言葉にも適当に相槌を返すしかできなかったけれども。
私の表情を如何にして読み誤ったのか、最後の方で「そうだ、日曜日に僕と君でデートに行くのもいいかもしれないね」などと言い出したときには流石に状況に不似合いすぎて吹き出してしまったが、それはさておこう。
実は、私、タンザニアに来て、同じ言葉を以前にも何度かかけられたことがある。
それはいつのことだったかはっきりとは覚えてはいないが、パン屋のメンバーから、仕事で会った外部の方から、学生時代に友人から、様々な場面で言われた。
彼らはこぞって同じ言葉で私に問うてきた。
「何をそんなに悩んでいるんだ?」(Unawaza nini ?)
これを言ってくるとき、彼らはきまって朗らかで、ニコニコしている。まるで「何小さいことで悩んでんだよ、前向いてこうぜ」とでも言わんばかりに。
それぞれ別々のタイミングで、年齢も立場も異なる方々に言われてきたので、タンザニアではよく使われる言い回しなんだろうと思う。
この言葉に続く言葉は、「そんなに深く考えこみんしゃんな(Usiwaze sana.)」「人生は長いよ(Maisha marefu.)」「人生楽しいものだろ?(Maisha ni raha.)」などなど、種々のポジティブ押し売りセットである。
私はどちらかと言うと、すぐに自分の殻に閉じこもって考え込んでしまう性格なので、彼らの健やかなポジティブマインドにいつも救われる思いがするし、時にはハッとする。曇天に一筋の光が差し込むような絵が浮かぶ。
あまり一概化してしまうのはよくないと思いつつも、でもやはり見習いたい点としてあえて言葉にすることを許してほしいのだが、多くのタンザニアの人は、思い悩みすぎることはよくない、気楽に捉えようゼというポジティブな思想を遺伝子レベルなのかはたまた環境の恩恵か、デフォルト能力として備えているのでは?と感じることがままある。
決して能天気だと揶揄したいわけではない。大なり小なり、人には人の大変なことがあるはずだ。それでも前を向いていよう、とする姿勢にこそ、私は痺れる。
似た様な言葉を聞いたことがある。
そう、ライオンキングで繰り返し登場する「ハクナマタタ」だ。スワヒリ語で「問題ないさ」という意味だが、これも「何をそんなに悩んでいるんだ?」に通ずるものを感じさせる。(タンザニアではHakuna matataという言い方はせずHamna shida, Haina shidaというけれども)
起こってしまったことは仕方ない。それはそれ。執着しすぎない。と言ったストロングイノシシスタイルを感じる。
タンザニア人のこういう気質を、私は自分にはないものとしてとても好いているしリスペクトしている。
そして、彼らがポジティブであることと同じくらい、私がリスペクトしてやまない能力の一つが、コミュニケーションが抜群にうまいという点である。
彼らはコミュニティを、人とのコミュニケーションをとても大事にする人たちなのだ。だからか、タンザニア人は周りの人を気遣う能力にとても長けていると感じることが多い。よく気がつき、そこに生じた確かな違和感をうまく取り除く特殊能力とも言うべき何かを持っている。
私はそういう違和感を感じたとき、怯んでしまい「大丈夫?」と声をかけることをためらってしまう。逆に嫌な気持ちにさせてしまったらどうしようなどと悶々としたのち、ノーアクションでやり過ごすのだ。
でも彼らは違う。ぐいぐい、来る。でも、決して人ん家に土足で踏み入るようなことはしない。うまいのだ。
極度に相手に気を使わせることもなく、かといって嫌な気持ちにもさせないような。まるでホストだ。(ホスト未経験の女が言うている)
「何をそんなに悩んでいるんだ?」という言葉も、その一つだと思う。
「君が思い悩んだ顔をしていると、僕だって心配しちゃうよ。」「だから、元気出して。自分だけで悩まないで。」という思いやり。
決してノーテンキでいろよへいへ〜〜い、ではないのである。(ここには多分に私の曲解が含まれてはいるが)
だから、私のように、納期4週間と言われていたのに半年経ってしまったことを理由にあからさまに不貞腐れて血の気を失くしているようではまだまだである。
どんな時にもこころにはハクナマタタの精神を宿していないとタンザニア人にはなれない。(いや、なれないんだがな)
私もタンザニア歴が長くなってきたけれども、こういうところ、まだまだよのぉと思うている。
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★おまけ★
と、まあ上の話は、ジェネラルな気質として見習うべき点だというお話だが、実際問題ビジネスの現場だと話はまた別である。
文化の違いはあれど、お互いに合意していたことが破られた時に、こちら側の被った被害を補填してもらえるようどのように交渉したら良いのか、こちらの主張を通すためにどれだけ場をピリつかせていいのかというのがいまだにわからないままだ。(私の経験談だが、多くの場合、タンザニアのビジネスマンは自分に非があってもそれを認めないし謝罪してくれない)
私の場合は特に、弱小スーパースモール企業であるということ、私が背の低いおぼこいアジア人(見た目の話である、決して精神性の話ではない)であるということが、ビジネスの現場で災いすることが多々あるので、個人的にはここをどう打開していけば良いか、というのは永遠の課題ではある。
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