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【世界史】大王の後継者たち~ディアドコイ戦争~第5章 へレスポントスの戦い

こんにちは。こんばんは。
RAPSCALLI😊N です。

今回も引き続きディアドコイ戦争について話していきます。

前回はなぜアンティゴノス、アンティパトロス、クラテロスがペルディッカスに反旗を翻したのかについて話しました。

そして今回は実際に彼らがエウメネスと戦った結末を見ていこうと思います。

実際に戦いを主導していったのは、アンティパトロスとその娘婿・クラテロスでした。

二人とも非常い優秀な将軍で、特にクラテロスはアレクサンドロス大王のもとで幾つもの戦を経験し、アケメネス朝ペルシアやインドの征服に大きな役割を果たした、マケドニアで1,2を争う戦の天才でした。

マケドニアとギリシアから大軍を引き連れた二人は軍を二手にわけ、アンティパトロスはエジプトを目指して東に、クラテロスはへレスポントス(現在のトルコ北西部に位置)を渡ってエウメネス討伐に向かいました。


へレスポントスの地図

ギリシア人秘書 エウメネス

戦に臨む上で、エウメネスは大きく2つの点でクラテロスに劣っていました。

一つ目は、戦の経験が乏しいこと。エウメネスはアレクサンドロス大王に仕えた秘書で、軍人としての経験は浅く、またその分兵士の忠誠もクラテロスに比べればかなり低い状況でした。

二つ目は、ギリシア人であるということ。ギリシアはアレクサンドロス率いるマケドニア軍が武力で制圧し、屈服させた土地です。それなのにギリシア出身のエウメネスが軍を指揮しているという状態に、不満をもった味方兵も少なくなかったでしょう。

この2点でクラテロスに劣るエウメネスには、最初から不運が襲います。

クラテロスの名声に惹かれ、多くの兵や部下が離反していきました。

特にエウメネスの海軍の寝返りはクラテロスがへレスポントスを渡ってアナトリアに入ることを容易に許してしまいます。

さあ、打つ手がなくなったエウメネスはクラテロスに戦を挑みます。

へレスポントスの戦いの始まりです。

へレスポントスの戦い

両軍の兵力それぞれ2万人程度と互角。しかしクラテロスと戦うことを知れば、エウメネスに従っているマケドニア兵はいつ裏切ってもおかしくない状況。

絶体絶命の状況と思われたエウメネスでしたが、巧妙な策を繰り出します。

まず、自軍の兵にはクラテロスと戦うのではなく、ネオプトレモスと戦うのだと伝えました。

このネオプトレモスという人物、実は数日前にクラテロスに寝返った、エウメネス軍からすればいわば裏切り者の人物です。

戦の天才クラテロスではなく、裏切り者ネオプトレモスが率いる軍と戦っていると思い込んだエウメネス軍は士気が上がります。

更に、この嘘が見破られないように、エウメネスはクラテロスの武勇をあまり知らないアジア人兵士らをクラテロスと戦わせ、残りのマケドニア人兵士はエウメネス自身が率いてネオプトレモスと戦いました。

戦が始まると、軍の両翼で激しい騎馬戦が起こります。

始めは互いに一歩も引かない争いが続きますが、ついに戦いの最中にクラテロスが命を落とし、また反対側ではエウメネスがネオプトレモスとの一騎打ちを制し、戦いはエウメネスの勝利に終わります。

こうしてアレクサンドロス大王のもとで数々の勝利を挙げてきたクラテロスは命を失ってしまいました。

その後

エウメネスに敗れた兵は敗走し、大部分がアンティパトロスと合流します。

一方大勝利を収めたエウメネスも、ペルディッカスの死により完全に孤立した状態となっていました。

今後帝国の行く末はどうなるのか、次回もお楽しみに!

参考文献


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