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性別の確定

先般、最高裁判所にておかしな判決が出た。
性同一性障害の定義を覆し、生物学と言う人類共通の認識を否定し、戸籍制度すら破壊する判決であるが賢明な皆様はご存知だろう。

そもそも、戸籍の性別には厳格な基準があった。
それはいわゆる性転換と呼ばれる肉体の変更だ。
『耐え難い肉体的違和を持ち、それにより性転換手術を受けた』人々の今後の生活を鑑みて特別措置として戸籍の性別を変更すると言う事だ。
それを『違憲』だと判断した最高裁の罪は重い。

この違憲判決前に性別適合手術を受けた方々は、間違いなく国家賠償を請求するであろうが、そうした賠償を訴える人にはほぼ満額賠償せねばならないだろう。

そして何より、人間が長い時間を費やしてきた『学問』をたった15人の裁判官が司法判断で否定したのだ。丸で前時代のガリレオの裁判の様である。

人の性別は、この世に2種しかない。
それは男と女であり、生物学上のこの制約を何人も破る事は出来ない。
男女の性別以外の性別は存在しないのだ。

男らしさや、女らしさなるものには大きな振り幅があるのは事実ではある。
男であっても女性的な割合が多い、女性だがボーイッシュで男性的な人もいる。
しかし、男は男であり、女は女である。
第三の性なるものはこの世にない。

自認する性別などは関係ない。

生物学上の男女の違いを何人も破れない以上は、その違いを無視することは出来ないのである。

何故なら、人間の『生殖』と言うものを無視出来ないし、してはならないからだ。
人間の生殖を考える上で、生物学的性別を無視して『感情的に性別を決める』等と言う概念は存在しないし、そんな概念が存在する等と言う考えには無理があるからだ。

例えば、性転換手術を受け戸籍変更をした戸籍上の知人や友人がいたとしても、その人を女性として接するだろう。しかしこれは『感情的』なもので、その女性が『生理痛が酷くて』と言い出したら『医者の診察』を勧める人はいないだろう。

自認する性別が女で、見た目も生物学的にも男性である人が医者に行き『妊娠中』だと言い出し診察を要望しても、診察する医者はいないだろう。
理由は簡単で「男」だからだ。

男女は明確に違う。
体格、筋肉量、肺活量、脳構造に至るまで明確な違いがあるのだ。DNAも染色体も違う。

つまり生物学的性別とジェンダーは別等と言う話しも成り立たない。
誰でもがなりたい性別になれる訳ではない。

また『体は生物学上男だが、自認は女だから』等と言う事を言い出して生物学的女性の為のスペースに立ち入る事も認められないし、それを認める必要もない。

女性は明確に『妊娠し出産し授乳』する事が出来るが、これは男には不可能である。
それは、男には母親にはなれず、女は父親にはなれないと言う事でもある。
父子家庭や母子家庭では片親が、父母的役割も時にこなすが父親が母に、母親が父になるわけではない。

こう言うと『妊娠出来ない、出産出来ない、授乳出来ない女性は女性ではないのか?』と言う誠に知能の低さを自ら吐露するが如き話しを言い出すバカがいる。それは常識の問題だ。

人の手足は2本づつある。腕は左右、足も左右それぞれある。
例え、生まれ付き手や足が欠損していても、事故により欠損しても人の腕は2本、足は2本。
これは常識であり、絶対に揺るがない。それが違うと言うなら人の手足は何本あるのか?
この程度の当たり前が理解出来ない者を世の中では『常識はずれ』と言い、恥ずかしい人間だとされている。そして常識はずれは他者から忌み嫌われるものである。

例えば、往来で突然下半身を丸出しにしてしゃがみ込み脱糞する人を見れば『常識はずれ』のとんでもない人だと思うだろう。
その常識はずれが恥ずかしくもないなら、既に人間ではない。

人間には羞恥心と言うものがあるが、犬や猫や猿にはない。
だから人前で糞尿が出来るのだ。

つまり常識はずれは、羞恥心のカケラもない人ならざる獣である。

今回の件、皆さんはどう考えるであろうか?


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