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自己批判を手放すために~①自己批判する自分を受け容れる

行き過ぎた「自分へのダメ出し」


失敗した時、良い評価が得られなかった時、気がつけば痛烈な自己批判・自責で頭の中が一杯になっていることがある。

自分へのダメ出しは、元々は自分を守るためのものとは頭ではわかっていても、状況によっては行き過ぎた自己批判になってしまいがち。

私は、ずーっと自己批判しながら、自分を痛めつけて、行くところまで行って、力尽きて・・・、みたいなパターンを繰り返していた。

批判しすぎると、自分を客観的にも観ることができない。例えば日記も書けない。日記なんて普段通りに書いている場合じゃないと感じていたからだ。

最近は、自己批判しすぎに気がついたら、「お守り言葉」として「ダメ出しを続けても、良いことは起こらないし、むしろ余計にこじらせるから、適当なところで止めとこう」と自分に対して言うようにしている。

当然、急にそんな風に、自分に優しい言葉を書けることができるようになった訳じゃない。

いろいろな学びの中から、自分が得てきたことだと感じている。

そもそもなぜ自己批判は起こるのか

1.養育者やパートナーからの影響

仕事の関係で、DVの被害に遭った人たちのために講座をするファシリテーターになるための講座※を受講した。

そこで、養育者やパートナーなどからの自分へのマイナス言葉の影響で、そういうマイナス言われそうな場面になると、先回りして自分に自己批判を浴びせてしまう、クリティカル・ボイス(CV)という概念を習った。

否定されるなど安全でない環境にいると、周りからダメ出しをされる前に自分にダメ出しして安全を確保しようする。すると、ダメ出しする相手がいなくなっても、自分の中に残ってしまい、それが自分への自己批判になる。

私にはADHDとASDの特性があり、ADHDがキツめだ。子どもの頃から「普通の子ども」からはみ出しまくっていた。

それで、母親から厳しく躾けられた、というよりも、母親が私に苛立って、厳しい、かつ、自分自身に罪悪感を抱かせるような「おまえが悪い」というメッセージを植え付けていた。

「ふらふらしていたら、家から追い出すよ」「お前みたいな、ずる賢い子は・・・」という感じで、子どもの生存の危機をあおる。親の言うことを聞かせるためのコントロールだ。

今は「親も子どの時代の私と付き合うの、大変だっただろうね」と思える。

だが、植え付けられた「生きていることへの罪悪感」「性根が腐っている感」はなかなか抜けず、自分の中にある、汚い黒い塊のようなものを誰にも見られないように、悟られないようにとビクビクして生きてきた。

本当はそんなものはなかったのに、失敗すると、私に「黒い塊」があるからで、それは私の本質的なモノだから、どうしようもできないと思っていた。

これを親からコントロールのためにCVを植え付けられていたのか・・・と外在化して考えると、スッキリはしないけれど、納得はできた。

2.社会での居場所の喪失

他の要因としては、学生時代なら「成績が危ういから単位が足りるか」、社会人になってからは「ミスをしたり、間違ったことを言ってしまう」ことを極端に恐れていた。

自分が社会的に所属する「場所」を喪失するかもしれないから、二度と同じ事が起こらないように自己批判する。

ADHD脳なので、とっさにいろいろ「いらないこと」をしたり、言ったりしてしまう。なんで私ってこうなんだろう、と自分を責めまくっていた。

特に「迷惑をかける」「嫌われる」ということをビビりすぎて、健全な人間関係を構築することさえも、諦めていた。

3.人間の脳のネガティブバイアス

「人間の脳は、ポジティブな情報より、ネガティブな情報に関心が向きやすく、記憶に残りやすい。だからネガティブ思考になるのは、人間として生きるための危機管理であり、ある意味当り前な反応だ」ということも、DV被害者のための講座のファシリテーター講座で知った。

人間だから、仕方ないのだと思うと、少し楽になる。

自分へのダメ出し癖に対処するには?

マインドフルネスの本を読んでいると、セルフコンパッションという概念に出会った。

「自己批判をしている自分を否定するのではなく、自己批判する自分をまず受容して、その上で、自分に優しい言葉をかける。他人を思いやるように、自分を思いやりましょう。」

これが簡単なようで、私には難しかった。

自己批判癖・自己否定癖がついているので、つい「ああ、また私は自分に厳しい。優しくしないといけないのに」と思っていた。自己批判を批判していた。「受容」というのがよくわからなかった。

ただ、マインドフルネス瞑想を習っていたときに、講師と面談があり、「セルフコンパッションについて習いたい」と言うと、「瞑想中湧き上がってくるいろんな雑念に対して、『ああ、また湧き上がってきたね』と優しく声をかけて、振り払おうとか反応せず、瞑想に戻ることが、セルフコンパッションですよ」と言われた。

その時は「なんだ、瞑想しか教えてもらえないのか。セルフコンパッションについては、教えてくれないのかぁ」とがっくりきた。

しかし、その講師の言葉で、自分の中の、自責などのネガティブな感情も「ああ、また自分へのダメ出しの声があがってきているなぁ」と、泥池から浮き上がってくる泡を見つめるように、そのまま受け止める感覚がつかめた。

なかなか、自分にOKを出すのが難しかった私だったが、自己批判の声をマインドフルネスに受容するということだけは、わかってきた。

これは大きかった。

自己否定、自己批判はある。そこを否定しない。

湧き上がってくる自己批判は、にがにがしい感情も伴って上がってくるが、窓の外の景色のように観る。「自己批判に反応しないで、そのまま受容する」その感覚はつかめてきた。

ただ、「自己批判する自分をまず受容して、その上で、自分に優しい言葉をかける。他人を思いやるように、自分を思いやりましょう。」の「自分に優しい言葉をかける」というのが、これまた私にとって、難しい作業だった。

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※:ちなみに「DVの被害に遭った人たちのために講座をするファシリテーターになるための講座」というのは、NPO法人レジリエンスが主催している講座です。






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