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断片:エスカレーターを駆け上がる価値...

なかなか皮肉が効いたツイートですが、「女性がエスカレーターを駆け上がる」という絵面はけっこう示唆的なものではないかとも思うのですよね。

いわゆる男性優位社会。主に会社組織、あるいは政治の世界などは男性が多くいてその支配権を握り、女性がそこに参加していても補助的な役割しか与えられないとか、そもそも女性の数が少ないのはおかしい、という批判があります。確かに社会を構成する人数比で言えば男女はほぼ半々なので、会社にしても政治にしても、その比率が半々でないのは数だけ見ればおかしいと思うのが自然なことでしょう。だからこういう映像が制作される。

ただ、元々は男女はその役割が異なる面はあっても共に働く存在であったわけです。狩猟採集時代においても食料の確保は男女共通の課題であったわけですし、農耕社会でも男女は共に働いた。産業革命後においても紡織産業においては多くの女性が従事していた。「女工哀史」「あゝ野麦峠」といった作品もありましたよね。昭和においても中期くらいまでは自営業として商店を営む人達は多く、そこでも当然父ちゃん母ちゃんが店を切り盛りする、という光景は普通に見られたわけです。父親が家の外で賃労働に従事して女性が家宰を引き受ける、という構図自体は、実は比較的最近になって成立したもの、サラリーマンが主流となった、日本で言えば戦後高度経済成長以降の話にすぎないとも言えるのでしょう。最初からこうじゃなかったわけですよ。

ジェンダー論では、性差というものは社会構築物であり男女にその器質的な違いは存在しない。男女はそもそも同等同一の存在なのだ、という話になっていますけど、実感としてそれにうなずく人は少ないのが現実ではないか、と考えます。「それはあなたが男だからだ」とはよく言われますが(苦笑)、男と同じような筋力を女性が持つことは実際大変ですし、女性のような細やかさを男性に持てと主張されても困惑する男性は多いのが現実でしょう。そもそも生物学的には大きく異なるわけですし。染色体からして違いますしね。
異なる存在である男女が、その役割において最適化を目指したなら社会において担う役割は自然と異なっていくと考えるのですよ。男性優位社会を作り上げたのは男性だけの力によるものではなく、そこには多くの女性の意思と協力があったと考えるのが自然ではないでしょうか。「女性は男性に支配されていて自由がなかった」というお説は、その意図とは逆に著しく女性を貶めるものではないか、と考えるわけです。女を馬鹿にしてはいけない。

ただまあ、産業を担う分野において、あるいは政治を司る分野において男性が支配的な役割を長く続けてきた、という面は実際あるわけですし、そこに女性の参加が少なかったがゆえに男性に最適化された構造になっているという面は否定しがたいものがあります。男社会に最適化されたなかに女性が踏み入っていけばそりゃあ女性にとって辛いでしょう。そもそも女性の居場所は「無い」わけですし、当然そこに居場所を作ろうとすれば「女を捨てる」しかないのが現実ではないかと。実際、政治の世界で男性と同等かそれ以上の活躍をみせる女性は「漢」と呼ぶのがふさわしいような方がほとんどなわけですし。逆方向のエスカレーターを駆け上がって男性と同じ階層に達することができる女性は、そもそも女性ではないのかもしれません。

個人的には「そこまでして男社会に入らなくてもいいんじゃないか」という気持ちはあります。男が「金を儲ける」ことを求められ、それゆえに「金を儲けようとすれば男のように振る舞うしかない」という現実は確かにその通りで、その仕組も女性の貧困の一要因ではあるんですが、実際にやっている人、男性と共に働いている人ならご存知でしょうが「金を儲ける」というのは男性にとってもけして楽な仕事ではないわけです。昔は「男は敷居を跨げば七人の敵あり」と言ったものですが、実際そうですし。

女性が社会で苦労している、という話は「男性と同じ場所に行こう」とすることから生じる面は否定できないと考えるのですよ。果たしてそれは女性にとって幸福な選択なのか。女性は女性で、女性として最適化された場所を社会に構築する/構築していく、というアプローチに切り替えたほうがいいのではないか、という気持ちはあります。実際、産業分野においては女性が多い職場はあるわけですし。所得の問題は「女性が多い分野の仕事/社会に必要とされている仕事であるにも関わらず所得が低いのはおかしい」という話に持っていくのが筋ではないか、と考えます。コロナ禍で露呈したエッセンシャルワーカーの仕事の話になりますが。ただ、そこも果たして「男が決めたからそうなっている」という話に落ち着くかどうか…

まあなんにせよ、エスカレーターを駆け上がる前に「そこは果たして私にとって有利な戦場なのか?」と立ち止まって考えることは必要なことではないか、と考えます。誰かが言った「女性はこうあらねばならない!」という話はその人にとって最適化された話に過ぎず、他者であるあなた自身に当てはまるとは限らないわけですから。人間は一人一人異なる存在なわけで。そもそもの話、男性でもエスカレーターの入り口でタイミングが合わずにそれに乗れない人も多いわけですしねえ…



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