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【漫画エッセイ】母が大動脈瘤破裂で運ばれました【Episode02|なんで書こうと思ったか】

こんにちは、清水楚央(サカキミヤコ)です。漫画エッセイ『母が大動脈瘤破裂で運ばれました』では、こっちの名前で投稿していこうと思っています。

前回から、70才の母が突然大動脈瘤破裂で緊急搬送され、その後手術が成功し、リハビリに向かうまでの実体験を漫画にまとめています。

救急車を呼んでから手術開始まで、実は7時間近くかかっているので、その時の話や、手術後、意識が曖昧な状態で母が語ったことに感動したり笑わせてもらったので、いろいろ書きたいことはあるのですが、

今回は、なぜその内容をマンガにしようとおもったか。

についてまとめてみました。

誰かのちょっと長い話に付き合ってもいいかと思う方は、お付き合いください。

次のお話はこちらです↓

マンガパートのみ読んでくださっている方にもすごく感謝しています。

大歓迎です。発信したものを受け取ってくれて本当にありがとう。

→次のお話【Episode03|大動脈瘤破裂って何?】

さあ、喋りますよ。

「なぜマンガをかくことにしたのか。」これは、記述しておきたかったのです。

理由は大きくわけて3つです。

①連絡を受けてから病院に着くまでの時間帯に、自分がちょうど欲しい情報があまり検索結果の上位にでてこなかった。
②『人間はありのまま生きることがそのまま価値になる』という生き方をずっとしていたので、今回の連絡を受けて「この事件をどう価値化しようか」という思考回路がすぐにオンになった。
③テクノロジーが発達した現代、病気や老いをもっとポップに発信する活動が必要と思っていたが、外野からだと不謹慎っぽくなりそうだったので、身内の生老病死を扱ってプロトタイプを作ればいいと思った。

①ちょうど欲しい情報がなかった

さすがのわたしでも母が生存率10%と言われたら、これは緊急事態だぞというモードにシフトチェンジしました。そして、この時の欲求は「病気の全体像が知りたい」と「手術をした人の結果の事例が欲しい」でした。

とりあえず、病院に着く前に知識をつけておきたい。医者から説明を受ける前に、病気の概要を把握しておきたかったし、手術の内容や後遺症も含めて、今後どういう可能性があるのか知っておきたいという気持ちが生まれました。

人は不安になるのは、いま直面していることに未知の部分があるからです。あらゆる可能性をイメージして、それらを全部受け入れると腹をくくれば冷静になれると判断しました。

だけれど、大動脈瘤破裂で検索したら、今まで全然触れていなかった人体のあれやこれやが、織り交ぜられた文章で記事が出てくるので、全然イメージできなくて参りました。

『図解雑学』的なざっくりとした知識と、体験記をいくつか参照できたら心は落ち着いたと思うのですが、病気を体験した方でブログ等で日々の様子を自己発信しているものはないかと、検索ワードを変えて色々調べてみても、2つくらいしか見つかりませんでした。

そりゃそうですよね。高齢になるにつれ、発症率が高くなる病気だし、生存率10%だし、そもそも破裂後まもなく、そんなに体験記書いている余裕もないだろうし・・・。自己発信の体験記がヒットしない理由は色々思い当たりました。

倒れた連絡をもらった時、わたしは大阪で、病院は関東だったので、始発で向かうことを決めた深夜2時から始発が動き出して、現地に着くまで10時間くらいの間、全く状況がわからないまま過ごすのは、余計なことを考えるし、ちょっと辛かったわけです。

WEBマンガとかで、ちょっと大動脈瘤を身近に感じられて、ほっこりしつつ、病院に着くまでの間に、知識も得られ、覚悟も決まる。そんな都合のいいものはないかいなと思って色々探していました。

そして「無いなら描けばいいのか。」と決意してしまいました。

②この事件をどう価値化しようか

たぶん、連絡を受けて「どうしよう・・・」と立ち止まっている自分ではありたくなかったんだと思います。

『人生で起こることには良いも悪いもない。ただ、心が動くエモいことがあるだけだ。感動上等。いいじゃない。』
『経験をシェアすることは、これからそれを経験したことのない人にとっては希望という価値になる。人は未知だから怖くて進めないんだ。すでにその暗闇の先の世界を見た人が、経験を話すことでイメージが伝達される。人はイメージできることは選択可能になる。未知を道にすることが人間の仕事。』
『特別なことをしなくても、一人一人起きる出来事も捉え方も違う。だから、それがその人の価値。人はありのまま生きているだけで価値がある。』

とか、これまでに言ってきたし、こういう生き方が好きなので、今回もこのスイッチが自動的に発動しました。

せっかく母がくれたチャンスを生かしたい。生死をかけて、こんな機会をくれたんだから、最大限生かしたい。

『わたしにできることはなんだ。この出来事をどう加工して価値にする?』

この設問が浮かび、そして実行しました。

③老いや病気はもっとポップでいい

問題をネガティブな意味での『問題』と捉えるのが嫌いです。

問題は、課題であり、事件です。イベントと呼んでもいい。だから、少子高齢化問題や、病気、死をネガティブに捉えて扱うという方向性も好きではありません。

ちょうど先月、祖母と母と、年金暮らし&身内に病気が増えてきて医療費どうするよ&お迎えが来るまでに何か冥土の土産を作ろうというコンセプトで『さんにんで196才』というプロジェクトを立ち上げたところでした。

3世代起業とかと面白そうじゃん。思い出作りしようぜ!

というノリで、問題だと思っていたものをひっくり返して、温泉旅行より面白い家族のイベント化ができたら成功だなと思っています。

そんな感じで、問題は全部「どうやったら面白くなるか」という知恵さえ働かせたらポップに扱えるものになると思っています。

今回も、大動脈瘤の目当ての記事を探している時に

旅のレポート・旅行記みたいなテイストで、病気の体験記のポータルサイトないかな?』とずっと思っていました。

老いや病気は海外旅行みたいなものだと思っています。

だって、旅路でしょ?

今まで見たことも聞いたこともない未知の国に、突然出国しちゃったのと似ていると思います。

現地でどう過ごしたらいいのかも、何に気をつければいいかも、何が起こるのかも知らない。

知らないことが恐怖に繋がるから、人は観光雑誌とか、旅のポータルサイトを見たりするわけですよね。

これだけ高齢化してテクノロジーや医療も発達している国では、病気・入院・手術は人生の中ではマストイベントといっても過言ではないと思います。

たぶん50年前では、助からなかった病気が今では存命できる病気になっている。(これは、手術後ICUにいる母を見たときに思いました。またマンガでも書きます。)

ということは、あたりまえ、日常、よくあることとして、病気や老いをポップに受け入れられる土台を作っておくことは、今後の日本にとっても有意義なのではないかなと思っています。

そして、老いや介護・病気をポップとかエンターテイメントという表現で語ると「不謹慎だよ。本人やご家族の気持ちを考えなさい」という意見もあろうかと思って、自分が本人たちに該当する今回は絶好なチャンスと思い企画を発動させました。

さいごに

最後に弁解を。

『ドライに考えるんだね』

文章だけ読むとそんな印象を与えてしまいそうなことを書いていますが、そうでもないですよ。

あとでマンガにも書きますが、10日間の間、人間らしく心は揺れに揺れました。今誰のそばにいるのが良いのか迷いに迷いました。

両極を極め、常に中庸を心としておいておくこと。

そんなモットーで生きていますが、今回結構ぐらぐら揺れました。

色々考えて、感じて、泣いたし、疲れたーって何回も言ったし、寝れなすぎて狂気の境地まで行っちゃうし、顕われる気持ちや感情を止めずに、いろいろ心をぶんぶん振り回した結果、また中庸に戻ってきました。

これまでにも色々な窮地イベントがありましたし、祖父の死、父の癌、そして母の大動脈瘤という経験を経て、わたし自身かなり成長させてもらっています。

そんなわたしですが、まだ自分の死は経験したことがありません。

『時よ、いつか降りるその時にはバイバイ』

星野源さんの歌みたいに、来たるべきその時にも、ポップに中庸な心でこの世にバイバイが言えるようなそんな人でありたいと思っています。人間は大自然の一部として循環するのみ。

そんなわけで、長くなりましたが「なんで書こうと思ったのか」の背景はこんな感じでした。

読んでくださりありがとうございます。
それではまた!

清水楚央


<おまけ>

ブレそうになった時に聞いていた曲。
『時よ』星野源さん
その節はありがとうございます。

■この話が収録されているマガジンはこちらです■

続編はこちらです■



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