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OH!へんろ。親子の88か所巡り(61番札所):栴檀山 香園寺(愛媛県)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

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今日の煩悩:

「寿命」というものは、生物が「種の生存確率」を上げるために進化の過程で「獲得」したものであるというのが学問的な一つの見解になっています。私もそう思います。ですので、永遠の命とか不老不死というのは「個の生存確率」の考え方からは憧れの存在になるのかもしれませんが、人類の遺伝子の計画には矛盾してしまうのかもしれません。

AI(人工知能)で「誰か」の意識をコンピューターに残そうという研究もあるみたいですが、人間は「脳」だけで考えているわけではないでしょうし、そもそも、次世代に譲るのが人間社会の計画だとすれば、「語る個人」が時間とともに増加したらさぞうるさいことになるでしょう。

それでも、人間には「子孫を残したい」という動物的な行動のほかに、「文字にして記録に残したい」とか、あまり好きではありませんが、「銅像になって残りたい」「歴史に名を残したい」という意欲を持つ場合もあります。これを「象徴的不死」といって説明する場合もあります。

さて、与論島には、生まれた子どもに戸籍上の名と別にもう一つの名「シマナー(島名)」「ヤーナー」を付ける風習が残っています。沖縄にも昔はあったねえと義父・義母が言っておりました。わたしも、数年前に与論島を旅行し、散歩中に出会った「ムトゥ」という島名を持つ(農作業中の)男性に出会い、朝からビールを飲みました。

島名は一般的に「先祖を敬い、あやかる」という意味で祖父母や叔父、叔母などの名をつけます。ご近所では本名ではなく島名で呼び合うことが多く、スーパーなどに貼ってある地域イベントのチラシやポスターには「お問い合わせはこちらまで」と島名だけが書かれていました。以前、NHKの「日本人のお名前」の番組で、役所職員の同僚で島名で呼び合っているので「本名は知らない」という件を紹介していましたが、そういうことですね。

同じ番組だったと思いますが、子どもたちがそれぞれ自分の「島名」を紹介し、「曾祖母の島名だよ」とか、「曾祖父の島名だよ」と言い、「このようなときあの曾祖母だったらどう考えたのかな」とか「優しく教え導いてくれた曾祖父に恥じないようにしたい」と述べていたのが印象的です。

明治時代になると戸籍法が成立し、国民の名前を「苗字と名前」の組み合わせにすることになりました。そして、戸籍上の名を「ヤマトゥナー(大和名)」に、以前の名を「シマナー」あるいは「ヤーナー」というように区別しました。

ムトゥさんに聞いたところ、島名には祖先の名を絶やさず、あやかる意味があって、はじめに生まれた子には父方の祖先の名前、その次は母方というように交互に付けるのだそうです。子どもの時は意識しなくても、大人になるにつれて島名に込められた意味を知るようになると、先祖から継いだ名を誇らしく思うようになり、行動にも影響するのだそうです。朝からビール飲んでましたが(笑)

実は、パラオにも似たようなことがあります。村には男性のタイトル(伝統的称号)と女性のタイトルがそれぞれ10程あります。アバイという集会場で話し合うのは男性のタイトル者で、席順も決まっています。そのタイトルは、継承していくもので、タイトルを持つ者は、村の争いを調停したり、自然資源を保護したり、子どもたちを導いたり、伝統的な儀式を取りまとめたり、行政に意見したりします。以前聞き取りをしたところでは、やはりですね、タイトルを受け継ぐことで、村のために利他的に行動しようと考えるようになるそうです。

数年前、パラオの伝統主張の何人かに話を聞くと、最近の問題はアメリカに留学して、そのまま現地で働く人も増えて、自分のやりたいこと、自分の利益に重きを置きすぎる人が増加したことなのだそうです。

かつては親族集団や村でお金を工面して留学させたりしていました。だから、教育で得たものは村のために活かすという発想があり、先達は村の子どもたちを学習面や金銭面でもサポートしていました。しかし、外国の奨学金を使って留学するようになると、「自分の力」で得た奨学金や教育は「自分のため」に使う、苦労して得た知識や職業や収入を村の人に還元するということに意味を見出せなくなっている若者が増えたと言います。

パラオの村の持続可能性は、「その村に生まれた」というゆるぎないアイデンティティのなかで、生まれながらの「無条件の受容」がベースになっていたと思います。

人間が「個」の集合であることはそうかもしれませんが、それを繋ぐ接着剤に変化が出ていて、(愛着のような)アナログなものと(記号や概念の)デジタルなものとのバランスが変わりつつある過渡期が現在なのかもしれません。

それでも、島名のような存在は、人間の心理的で基本的メカニズムを思い起こさせるうえでも、日常生活においても素晴らしいものだなあと感じます。

御詠歌:

後の世を思えば詣れ香園寺 止とめて止まらぬ白滝の水

本尊:

大日如来

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創建:

六世紀後半

真言:

おん あびらうんけん ばざらだどばん

歴史:

縁起によると、用明天皇(在位585〜87)の病気平癒を祈願して、皇子である聖徳太子が建立したと伝えられています。弘法大師が訪れたのは大同年間(806〜10)の頃です。大師は唐から持ち帰った大日如来像を本尊の胸に納め、栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る「四誓願」の護摩修法をされて寺に遺し、ここを霊場に定められました。

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所在地:

愛媛県西条市小松町南川甲19

駐車場:

あり(無料)

公式HP:


http://www.koyasudaishi.or.jp/



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