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母系社会のパラオでイクメン父ちゃんたちに学んだーVol. 0.

誰が言ったのかも忘れてしまったのですが、私の意識の片隅にあるのが「一人称複数」という言葉です。おかしな言葉ですよね、私が複数いるわけですから。私の理解では、これは「俺」「うち」「あたい」という呼び方のことではなく、「子どもである私」「働き盛りの私」「病気を患っている私」「高齢になった私」という複数の視点が同居した「私」です。個人主義がもてはやされる今の時代に、持続可能性を語るのであれば忘れてはいけない視点だと思います。 志良堂るみこ『僕がいて君がいるー個人の意識という幻想ー』山川草木ヤング文庫 439頁より(注:そんな本はありません)                         

パラオで学んだ「一人称複数」の感覚

「一人称複数」。私がこれに近い感覚を持ったのは、5年間暮らしたパラオ共和国でした。JICA国際協力機構(当時はまだ国際協力事業団)の青年海外協力隊員としてパラオに派遣され、2年間一般家庭にホームステイしていました。公務員として働くホストマザーと(事実上の)夫で警察官のホストファーザー、そして子どもたち(女子1、男子2)、ホストマザーの弟とその子ども(男子1)とその他ゆかいな仲間たち(居候たち)が生活する大きな平屋での生活でした。

2年間のホームステイから

パラオは母系社会(専門的には別の分類をする人もいる)です。人間社会の原型は母系社会であるという論説もあります。私が過ごした家では、ホストマザーが世帯主で、ホストファーザーは一緒に暮らしているけれどロジカルには世帯の外にいる感覚でした。この家と財産を継承するのは娘です。娘はお祖母さん、お母さんから大切な知識を学び、その証ともいえる珊瑚等の石(ウドウド:伝統のお金)を受け継ぎます。ホストマザーの弟は、当然お姉さんと同じ母系集団に属します。そして、自分の息子よりもお姉さんの娘(姪っ子)にいろいろ優先的に援助をします。クリスマスの時などにも自分の息子よりも姪っ子に先にプレゼントを渡していました。

西洋式な結婚式を挙げる人もいますが、パラオでは結婚よりも「第一子の誕生」が重要で披露目の儀式が執り行われます。伝統的な話をすると、男性は妻問婚(夫が妻のところに通う形の婚姻)で、子どもたちの父親が違うことも良くありました。一般的に、母系社会では女性は親族を頼り、夫よりも男兄弟を頼るという話も聞きました。ある人が『母子は出産という「直接体験」で繋がっているけれど、父親は「はい、この子はあなたの子ですよ」と宣言されて「おお、そうか」と父親になる(かどうかはわからないけれど)」、まあフィクションだ』と言っていました。昔は遺伝子検査などなかったですからね。

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古今東西、親族や近親者が「父親」にかける言葉

ある進化心理学者の本を読んでいたら、「父親が違う場合も、赤ちゃんの顔は父親ですよと宣言された人に似る」ということが書いてありました。古今東西、親族や近親者が「父親」にかける言葉は「お父さんにそっくりだ!」と相場が決まっているのだそうです。不思議ですね。これは、赤ちゃん自身の生存戦略によるものか、親族の組織戦術によるものかはわかりません。私も、高速道路のPAで知らないご夫婦から「そっくりだ、間違いないね、ご主人!」「安心だね」と言われたり、飛行機のなかで外国人の人に、たぶん「そっくり」というジェスチャーで指をさされ、笑われたことがあります。まあ、実際も言い訳できないくらい「そっくり」なんですけど。

父親のフィクション性と溢れる愛情

「父親」という役割が集団の中で誕生し、何とも言えない気遣いを受けながらのフィクション性が親族集団、共同体の紐帯を作り出す。まあ、そんなものなのかもしれません。そして、妻問婚のなかで「君がパパさんだ!」と指をさされた者(娘の場合は母方の叔父さん)は、養育者として、子どもの食糧などの面倒を見るし、留学したいと言われれば教育費を工面するのです。パラオの男性たちは子どもの世話を本当に楽しそうにするのです。もしかしたら、父親に任命されたことで、社会(妻側の親族組織)での立場が良くなるということがあったのかもしれないけれど、心から育児を楽しんでいる様子も伝わってくるのです。

パラオでは「生物学上のお父さん」「育てのお父さん」という言葉が日常的に使われるけれど、どちらのお父さんも子どもたちを大切にしている印象を受けました。パラオで女性と男性の幸福度を測定してみたことがあります(2度ほど)。わずかに女性の幸福度が高く出ましたが、幸福度をあげているであろう要因について、その他の要因をコントロールしたうえで統計的に処理してみると、やはり男女差は有意には出ませんでした。男性は育児にかかわることで愛着を持ち、幸福感を得ることが分かっています。オキシトシンの作用も関係していると思います。そのことは、日本の男子高校生が保育所で定期的に赤ちゃんの世話をする実験でオキシトシンの分泌と、増加が見られたという報告とも整合しています。男性が弟妹はもちろん、小さな赤ちゃんとの触れ合いをすることで小さな子供全体への関心が増加することも期待できます。

「無条件の受容」がそこにはある

パラオでは、アメリカ的な生活スタイルが入ってきてから、生活や価値観に変化が起きているという報告もあります。しかし、親族を継承する、繋ぐという思いはまだ強く、人々が「子どもである私」「働き盛りの私」「病気を患っている私」「高齢になった私」を意識している、個人だけでなく全体を大事にしているという感じが伝わってきます。実際、高齢者をとても尊敬して大切にしますし、病人に対してもとても慈悲深く接します。アイデンティティを構成する多くの理由が親族集団にあると、受験や仕事でうまくいかなくても、「まあ君は君、うちのクランのメンバーさ」という「無条件の受容」がそこにはあるのだと思います。パラオでも、ビジネスや政治の世界では打算や駆け引きもよく見ますが、親族集団やその暮らしの領域では、親密な関係の上にたち、見返りを求めずに助け合う、相互扶助が染み付いているように思えます。

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学びと期待

男性が小さい子供の世話をすることでオキシトシンが分泌される経験をすると、コミュニティの子どもたち全体への視線が変わります。それは自分の子どもである必要はない。男性の育児は、成熟した大人になる通過儀礼でもあり、きっと、そうした生物的なメッセージに呼応することで、「よかばい」とご褒美がもらえるのかもしれません。

おわりに

何やかや言って、私も2年間のホームステイ後、さらに3年間、パラオで仕事をしてしまいました。そして、パラオで結婚し、その後も毎年、パラオを訪問してきました。すっかり「関係人口」になっていると思います。最近は行けていないのが悔しいですが、SNSで毎日のようにパラオの友人たちの、もちろんホストマザーや子どもたちの元気な姿を覗っています。パラオで教えてもらった「一人称複数」の感覚を大切に共育、共食、協働していきたいです。



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