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大学生警備員の小砂9:「それ勉強すると何かいいことあるんですか?」は言わない

ここの話は私が20歳の頃のしょうもない経験と考えたことを元に回想し、解釈しているだけで、必ずしも正しい知識ではないことが含まれていることをあらかじめおことわりしておきます。
1992年、夏。私は朝の新聞配達以外は「引きこもり」のような生活から少し歩みだし、20歳の時に江東区にある高層ビルで警備員のアルバイトになりました。夜間のアルバイトです。そして、夜勤の警備員アルバイトをしながら、21歳の時に大学生になりました。
さて、かなり時間をすっ飛ばしてしまいます。すっ飛ばした時間の出来事についてはまた機会があれば「外伝」で書きたいと思います。

話しは変わります。

「それを勉強して将来使いますか?」とか「何かいいことありますか?」という質問が存在します。うちの小学生の子どもたちもそろそろ言いそうです。その問いについての子どもたちへの回答はすでに私の経験から導かれています。

君たち(わたしの娘と息子)が今走っているそのレールの上(彼らが認知する「環世界」)に居続ければ、その知識は「役に立たない」場合もあるでしょう。そこからだけ見える未来では「使わない」のかもしれない。例えば、微積分や英語を必要としない未来の環世界では微積分や英語の学習をする意味が感じられないかもしれない。微積分や英語の面白さそのものへの内発的学習ができれば一番良いけれど。

でも、今の自分が「これなんかの役に立つの?」と思っている知識や技術を誰かは「役に立つ」と思って精進しているわけです。つまり、その人の往くレールでは役に立っている。アメリカで数学の博士号の学位を持っていたら、超高収入の仕事など、いろいろな職場から引手あまたでしょう。

新しい知識や技術は違うレールに切りかえるときに役に立つのです。

鈍行列車にはその楽しさはありますが、用途に応じて準急、急行、特急に乗る必要が生まれるかもしれない。別の行き先に続く線路に乗り換える必要があるかもしれない。

私は小学校の教員養成課程で学んでいたので、教育実習をはじめ教育行政にかかわる方とも話す機会がありました。そのころはキャリア教育という用語はまだ一般的ではなかったです(それから数年後の2000年頃から徐々に注目されてきていました)。

話を聞いていて違和感があったのは、私が当時会った現場の教育関係者の考え方は「レールはそのままで、新しい知識や経験を投入していく」という発想に聞こえました。たぶん、彼ら自身が自らのレールを変えることを想定していないし、価値を見出してはいかかったのでしょう。例えば、唐突ですが、私たちをパソコンと考えた時に、OS(オペレーションシステム)はそのままで、ソフトやデータだけダウンロードすればよいという感じです。

本当に知識や技術を学んでいくと、既存のOSではうまく起動しなくなるし、パフォーマンスも下がることがあります。学ぶ前と後では主体は「同じではいられない」わけで、OSを替える必要もあるかもしれません

学ぶということは「今の自分では測りかねる価値」を学ぶことでもあり、脳に刻まれた記憶は不可塑、別人になってしまうかもしれません。その覚悟が持てないと、たぶん人は(無意識的に)「何の役に立つかわからないもの」を学べないのだと思います。

それは当然ですよね。自分のレールの先にないかもしれない価値観を学ぶことになるのですから、本気で学ぼうとすれば「不快」なこともあるわけです。だから、人間は意識的に注意しないと「コンフォート・ゾーン(不快ではない範囲)」のものを選びます。自分の「文化(ブルデュー的なものも含めて)」にないもの(先ほどの例で言えば、微積分や英語)は不快なものです。

だから、言うのです。「それを勉強してなんかいいことあるの?」と。

でもね、今の自分でも予想できないびっくりするような面白いことをしたいと思うなら、今の自分が予想できる範囲の「いいこと」を勉強していても足りないということ。

さて、私も一年間、就職活動をして、一通りの経験をしました。いや、懐かしいですね。公衆電話(プッシュ回線)から「企業説明会」の予約をするんです。

私も50歳近くになると(少しですが)就職の面接をする機会も持つようになります。そうすると、この採用はあのポストでだれだれと働いてもらうんだよなということを考えます。優劣ではなく、総合的に向いている向いていないを考えます。

その視点から考えると、24歳の就活生の私には「いろいろやりようはあったよ」と言ってあげたい気持ちもあります。

ただ、「普通」を目指していた24歳の私は、「普通」を目指すことが結構余計なエネルギーを消耗することに気づきました。「普通」も目指すとなれば、学ぶことであるし、私にとっては「コンフォートゾーン」の外側でしょう。良い学びではあったけれど、少し疲れたのかもしれません。

そして、個人の属性などについて必要以上に拘る会社は、今でいうダイバーシティが足りないのだろうと自分の「企業のセレクション基準」を作りました。

そして、いい感じで脱力したタイミングである会社から内定をいただいたのですが、どうにも脱力が進み過ぎてしまい、どうせならと思い、自分の「文化」にはさほどなかった分野で学ぼうと、大学院受験を決めたのでした。


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