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OH!へんろ。親子の88か所巡り(68番札所):七宝山 神恵院(香川県)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

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今日の煩悩:

子どもたちに託けて『前田慶次 かぶき旅』の第8巻(令和3年11月20日発売)を購入しました。『花の慶次ー雲のかなたにー』は1990年から1993年まで『少年ジャンプ』で連載された漫画です。私が引きこもり生活をしていた青春の書です(笑)。その後継書が『前田慶次 かぶき旅』です。

49歳でコミックを読む父の姿を横目で見た後、娘が読み、息子が読み、最後に妻が読みます。妻は最後にいつもの捨て台詞「この少年コミックのパターンよ」を残してゆきます。

妻に言わせると少年コミックには「男子」の思考パターンのようなものが踏襲されていると言います。まあ、私も賛同していますが。

だいたいですね、「敵対していた者同士が戦い、その後仲間になる」という単純なパターンです。うちの男の子も幼稚園児のころから引き続き、悪と戦っているようです。

分かりやすい例を言えば(わかりやすくないかもしれませんが)、『ドラゴンボール』で、主人公の孫悟空と天津飯は敵対しますが、共通の敵であるピッコロ大王が現われると協働します。そして、ベジータ等のサイヤ人が地球に襲来すると、孫悟空たちとピッコロは協働します。つぎに、さらに恐ろしいフリーザ様がやってくると、孫悟空たちとベジータは協働します。こんな感じで続いていきます。

桃白白(タオパイパイ)やフリーザのように、根本から環世界が異なるものとは闘いの後も分かり合えないですし、ピッコロやベジータのように、あくまでも共通の敵を迎え撃つための共同であり、孫悟空とのライバル関係を解消するものではないような関係もあります。

この闘うと「おお、おまえ」というように仲間になる感覚が妻にはわからないのだそうです。妻はたぶん女性なので「女性はこの感覚が分からない」というように一般化しているわけです。なるほどね。まあ『前田慶次』もそのようなところはありますね。こぶしを交えてみればわかる的なところはあります。                        以上

勝手にハイライト__________________________第8巻、第29話「大人の艶」より(ネタバレあり…あるかな)

夕月:餓鬼だと!わたしはもう大人じゃ!!
慶次:ふふ・・・大人か・・・
慶次:大人とはな 与える者のことじゃ 餓鬼は歳をとっても もらうことばかりの損得勘定しか頭にない
夕月:与えるばかりでは損ではないか!!
慶次:お前は南蛮人の血をひく孤児だったそうじゃな (お前のお師匠は)お前を拾い育て惜しみなく剣術を教えた 
慶次:じゃが そのお前に一度でも見返りを望んだか?それが大人と言うものじゃ
慶次:そんな大人の周りには人が集まり人が育つ じゃが 餓鬼の周りには人は集まらず人も育たぬ
慶次:大人の人生には艶がある 餓鬼の人生は寂しく虚しいものよ


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御詠歌:

笛の音も松吹く風も琴弾くも 歌うも舞うも法の声々

本尊:

阿弥陀如来

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創建:

大宝3年(703)

真言:

おん あみりた ていぜい からうん

歴史:

縁起によれば、大宝3年(703)に法相宗の高僧・日証上人がこの地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受け、かなたの海上で神船と琴を発見しました。そして、これらを琴弾山に引き上げて、「琴弾八幡宮」を建立して祀ったことが創建の由来だそうです。その後、大同2年(807)に弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、霊場としました。

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所在地:

香川県観音寺市八幡町1-2-7

駐車場:

あり

公式HP:

http://www.shikoku88-6869.com/






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