0.はじめに (親鸞会会員による憂い)

 私がこれから投稿していく一連の記事は、私が浄土真宗親鸞会という宗教組織に身を置く中で感じる組織の問題点や不満を列挙していくものである。

 まず浄土真宗親鸞会(以下、「親鸞会」)がどういう団体か非常に簡潔に説明すると、「浄土真宗の宗祖親鸞聖人の教えを正しく伝える」ことを目的とし、各地で法話や講演会・勧誘活動などを積極的に行っている団体である。より詳細な情報については、本筋から逸れるのでここでは省略させて頂く。気になる方はぜひご自分で調べて頂きたい。

 さてこの「はじめに」では、「なぜ私が親鸞会という宗教組織の現役会員でありながら、その組織へ感じる問題点や不満をSNSに投稿しようと思ったのか?」という点を明らかにしていきたい。


1.)なぜ現役会員が?

 親鸞会に対して批判的な投稿のほとんどは部外者ないし元会員によるものであり、現役会員によるものは皆無と言って良い。対して現役会員が運営するサイトは親鸞会に対して肯定的だ。これはある意味では当然のことだろう。
 しかし、だからこそこの記事には価値があると私は思っている。宗教組織の現役会員がその組織の問題点をこうした形で指摘するのは、珍しい。たとえ何かしら問題を感じても、宗教組織は信者に対して絶対の権威を持つが故、中々内部から声を上げづらいのが実態である。そうした中で私がこのように公のプラットフォームへ投稿しようと試みた目的は、偏に親鸞会という組織にそうした問題点を少しでも改善して欲しいと願うからである。

 ここで誤解の無いように先に言っておくと、記事の内容は親鸞会の教義そのものに対する批判では決してない。私は親鸞会の教義そのものに疑念を抱いている訳ではない。少なくとも論理的な矛盾点は見出せないと思っている。私がここで言及するのは教義ではなく、組織としての体質や風土についてである。言い換えれば、あからさまに不正な「行為」に対する糾弾ではなく(多くの批判サイトの内容はそうした類のものだが、大抵は根拠薄弱である)、親鸞会的「精神」とでも言うべきものへの批判である。
 目に見える程明らかな問題ではないため、実際は些細な問題かもしれない。だが、一定数の会員が心のどこかで引っ掛かりを感じている問題だと思う。だからこそ、言語化することでそうした種々のおぼろげな問題を明確化して会員に危機意識を持ってもらいたいのである。
 完璧な組織など存在しない。どんなに立派そうなものでも何かしら欠点を抱えているものだ。しかしその欠点を多少なりとも改善することは出来る。特に宗教組織は内部からの変革が難しい。だからこそ、この私の文章が何かしらのきっかけとなってくれれば幸いである。


2.)なぜ口頭ではなく文章で?

 特にこれを見ている他の親鸞会現役会員なら、「不満があるなら上層部の人間に面と向かって堂々と口で言えばいいものを、なぜそうしないのか」と非難を加えようとするかもしれない。後でそういう批判をされないためにも、予めここで答えておこう。
 端的に言えば、口頭よりも文章の方が色んな点で適切だと思うからである。第一に、文章の方が私の性に合う。私にとっては文章の方が自分の考えをより緻密に整理出来る。第二に、口頭で済ませられるほど単純な話ではない。私が伝えようとする内容は量が多く、複雑である。ならば文章の方が適切であろう。そして第三に、文章として残せばより正確性が増す。口頭ならば言い間違いや聞き間違い、言った言わないの齟齬が生じやすい。また何らかの形として残っていないと、伝言ゲームのように情報が歪む恐れもある。しかし文章としてしっかり形を残せば、そうした問題は多少なりとも軽減されるだろう。


3.)なぜnoteというSNS上で?

 恐らくこれが一番関心を集める点だろう。組織への不満を文章で伝えるにしても、SNS上には公開せず組織内部の信頼できる人間にメールなどで送れば良かったのではないか?
 実際この点に関しては私自身、相当迷いがあった。私の言わんとすることを理解してくれそうな人は組織内部にもいない訳ではなかったし、内々での「悩み相談」の形にする手も当然考えた。
 しかし結局ご覧の通り、そうはしなかった。第一に、穏便に処理されてしまうことを恐れたからである。親鸞会では組織や人を悪く言って「和を乱す」ことは厳禁である、という空気が漂っている。そのため現役会員によるこうした批判的な発言が、一部の者達の間だけで「信仰の覚束ない会員による悩み」として秘密裏に処理されてしまう可能性がある。しかし、それは私の望むところでは全くない。私の目的は、一人でも多くの会員に私が提起する問題に目を向けてもらい、改善に向かって一人一人が何らかの行動を取ってもらうことである。すべての会員が閲覧可能で自由に意見を言える掲示板のようなものが親鸞会の中にあれば良かったのだが、残念ながらそうしたものは無い。ならば、こうしたSNS上で公開するより他に無かったのである。
 第二に、私が指摘する問題点は親鸞会という一組織に限った話ではないかもしれないからだ。内容そのものは親鸞会に関するものとは言え、前述の通り精神的なものなので、他の宗教組織や企業その他の組織でも見られるものかもしれない。なのでそうした問題を言語化したものとして、親鸞会の会員に限らず色んな方にとって考えさせられる内容になる―つまり一定の公共性がある―かもしれないと思い、SNS上で広く公開することに決めた。
 またnoteを選んだ理由は、まとまった文章を投稿できて多くのユーザー数がいるサービスだからである。


 以上、想定される主な質問に回答する形で概要については理解して頂けたかと思う。納得のいく答えをしたつもりではあるが、なお疑問等あればぜひコメント欄にお寄せ頂きたい。
 そして、最後に一つだけ。これから私が指摘する問題点を感じている会員は、決して私だけではないと思っている。事実、私がよく知る会員の一人は今では親鸞会の組織体質に幻滅し、親鸞会の各種の行事に参加するモチベーションをほとんど喪失してしまっている。あるいは、私が知らないだけで案外そういう会員は多いのかもしれない。
 親鸞会内部の人間は、教義自体とは関係ない組織体質のせいで傷付き苦しんでいる会員がいることを自覚し、猛省するべきである。願わくは親鸞会に自浄作用が働き、より健全な組織へと向上していってもらいたいものである。
 そしてもし、こうした批判すら許されざるものであるならば、親鸞会の凋落は近い。現役会員による訴えとして真摯に受け止めてもらいたいものである。

 なお、記事では親鸞会で使われる用語をそのまま用いている箇所があるが、そうした用語には()などで分かりやすい一般的な表現になるべく置き換えるようにしている。

追記:2023/6/29 一部加筆修正

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