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  • 浄土真宗親鸞会 現役会員の憂い

    浄土真宗親鸞会という宗教組織の現役会員が、組織の問題点について論じます。

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0.はじめに (親鸞会会員による憂い)

 私がこれから投稿していく一連の記事は、私が浄土真宗親鸞会という宗教組織に身を置く中で感じる組織の問題点や不満を列挙していくものである。  まず浄土真宗親鸞会(以下、「親鸞会」)がどういう団体か非常に簡潔に説明すると、「浄土真宗の宗祖親鸞聖人の教えを正しく伝える」ことを目的とし、各地で法話や講演会・勧誘活動などを積極的に行っている団体である。より詳細な情報については、本筋から逸れるのでここでは省略させて頂く。気になる方はぜひご自分で調べて頂きたい。  さてこの「はじめに」

    • 4.誠意を欠いた言動(親鸞会会員による憂い)

      1.なぜ、親鸞会の人間からは胡散臭さが漂うのか?  親鸞会の人間の言動に胡散臭さを感じてしまうのは、私だけだろうか?特に講師や顕正講師など、組織内部の人間ほどそれが顕著である。これは一体どういう訳なのか、私なりに考えてみた。  結論から言うと、「胡散臭い」とは言い換えれば「形式的」なのである。親鸞会では「善い行い」の形ばかりに囚われて、誠意が感じられない偽善的な人間が多い。  親鸞会では救われたいのなら善行に励めと教えられる。そして「こういう事をするのが良い/言うのが

      • 3.「自分は真理を知っている」という思い上がり (親鸞会会員による憂い)

        1.増上慢は関係ない?  親鸞会は仏教系の団体なので、「浄土真宗」と標榜すれど仏教全体に共通する教理もよく説かれる。親鸞会でも好んで取り上げられる仏教の教理の中に、「七慢」というものがある。「慢」とは自惚れ心・慢心のことであり、人間の煩悩の中の一つとされる。その自惚れ心に七つあると説くので、「七慢」と言われる。そしてこうした心を起こさないように心掛けましょう、と教えられるのだが、詳しくは親鸞会が運営する以下のサイトで解説されているので参考にして頂きたい。 https://

        • 2.俗物たち (親鸞会会員による憂い)

           この問題については個人の感性に依る所が大きいので、人によってはそうは感じないかもしれない。しかし「こういう感じ方をする人もいる」という一つの例として書き記しておきたい。  なお「俗物」とは辞書を引くと「名利にばかり囚われた人間」という意味だが、私がこの記事で用いる「俗物」は若干意味合いが異なる。私がここで「俗物」と言う場合、「品性の欠片もない粗野な人間」という意味で用いていることを最初に明記しておく。 1.)品性に欠ける俗物が蔓延する組織  私は常々、親鸞会には俗物的

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          5本

        記事

          1.信仰と依存の区別の曖昧さ (親鸞会会員による憂い)

          1.)親鸞会依存症   日本版Wikipediaに「宗教依存症」という記事がある。参考元がWikipediaとは大分心もとない気はするが、この記事は私が感じる問題点を非常に的確に表している。そこには次のように書かれている。    これでは表現がまだ抽象的なので、特に親鸞会の会員にとってはピンと来ないかもしれない。そのためもっと実感が湧くように、節々の表現を具体的なものに置き換えてみよう。 「親鸞会依存症とは、自分自身の責任のもとで物事を決断し、問題を解決しながら生活をし

          1.信仰と依存の区別の曖昧さ (親鸞会会員による憂い)