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なぜ「美白(びはく)」はあるのに、「美黒(びこく)」はないのか?

美白美容液に、美白化粧水、美白クリーム、、、。
「あなたも、これで美白に!!」と謳った商品が、世の中に溢れている。
色白こそが美しさの象徴とされ、その”白い肌”を求めて多くの人が日々、様々な取り組み?を行っている。

そういえば、小学生の時に歴史の教科書で見た、平安時代の貴族のイラストは、白粉で顔が真っ白に塗り上げられていた。この時代の有名人、紫式部や清少納言の肖像画も、色白の肌が印象的である。
中国の書物にも「白い肌」が美女の象徴として描かれており「肌の白さ=美しさ」という概念は、この時代から存在していたのだろう。

時代の経過とともに、白く塗る美白から、素肌美を追求するという風潮に変化は見られど「美白」そのものへの想いは、現代へと受け継がれている。

ただ一時、平成には、新たなギャル文化として「ガングロ(顔黒)」が流行ったこともあった。
「太陽に愛されよう」というコンセプトのもと、資生堂が打ち出したサマーキャンペーンが大ヒット。“夏は小麦色の肌”という考え方が広まったこともあったらしいが、今は昔の話である。


前書きが長くなってしまったが、”美容”の話をしたいわけではない。
日のテーマは「それって、ほんと?」と前提を問うことの重要性についてである。

白い肌は、美しい。
それって、ほんと?

こういうことだ。
(美しくないよね、と言いたいわけではない 笑)


例えば。
身長180cmの男性は、日本では背が高いとされるけれども、NBA選手全体の平均身長と比較すると、大きく下回る。

そんなときあなたは「身長180cmの男性」を目の前にし、どんな前提を持って、相手に言葉をかけるだろうか、、、?


何かを話すとき、何かを選ぶとき、必ずそこには「前提」がある。
その基準に沿って、人は判断・決断・選択をしていく。

でも、その前提は、本当に正しいのだろうか、、、?
正しいと言える根拠はあるのだろうか、、、?

大人は子供に「ウソをつくのは、いけないことだ」と言う。けれども、ウソをつくことは、果たしてどんな場合でも「いけないこと」なのだろうか。

嘘も方便、ということわざがあるように
我々は、時には”ついてもいいウソ”があると考えているに違いない。

そうなると「ウソをつくのは、いけないことだ」という常識が、そもそもウソである可能性が浮上してくる笑

上述の話は、あくまでも一例だが、
理屈をきちんと説明できないのに、ただやみくもに押し付けられているルールや常識が、世の中にはあふれている。

直感的に「なぜ?」と思ったとき、
「本当にそれが正しいのか?」と問い直し
ちょっと立ち止まって考えてみてもいいのかもしれない。

「黒いは、美しい。」
そんな世界があってもいいんじゃね?的なくらいのノリで。


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