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【随想】芥川龍之介『大導寺信輔の半生』

 信輔の家庭は貧しかった。尤も彼等の貧困は棟割長屋に雑居する下流階級の貧困ではなかった。が、体裁を繕う為により苦痛を受けなければならぬ中流階級の貧困だった。退職官吏だった、彼の父は多少の貯金の利子を除けば、一年に五百円の恩給に女中とも家族五人の口を餬して行かなければならなかった。その為には勿論節倹の上にも節倹を加えねばならなかった。彼等は玄関とも五間の家に――しかも小さい庭のある門構えの家に住んでいた。けれども新しい着物などは誰一人滅多に造らなかった。父は常に客にも出されぬ悪酒の晩酌に甘んじていた。母もやはり羽織の下にはぎだらけの帯を隠していた。信輔も――信輔は未だにニスの臭い彼の机を覚えている。机は古いのを買ったものの、上へ張った緑色の羅紗も、銀色に光った抽斗の金具も一見小綺麗に出来上っていた。が、実は羅紗も薄いし、抽斗も素直にあいたことはなかった。これは彼の机よりも彼の家の象徴だった。体裁だけはいつも繕わなければならぬ彼の家の生活の象徴だった。……

芥川龍之介『大導寺信輔の半生』(短編集『河童・或阿呆の一生』)新潮社,1968

況んや当時の友だちは一面には相容れぬ死敵だった。彼は彼の頭脳を武器に、絶えず彼等と格闘した。ホイットマン、自由詩、創造的進化、――戦場は殆ど到る所にあった。彼はそれ等の戦場に彼の友だちを打ち倒したり、彼の友だちに打ち倒されたりした。この精神的格闘は何よりも殺戮の歓喜の為に行われたものに違いなかった。しかしおのずからその間に新しい観念や新しい美の姿を現したことも事実だった。如何に午前三時の蠟燭の炎は彼等の論戦を照らしていたか、如何に又武者小路実篤の作品は彼等の論戦を支配していたか、――信輔は鮮かに九月の或夜、何匹も蠟燭へ集って来た、大きい灯取虫を覚えている。灯取虫は深い闇の中から突然きらびやかに生まれて来た。が、炎に触れるが早いか、嘘のようにぱたぱたと死んで行った。これは何も今更のように珍しがる価のないことかも知れない。しかし信輔は今日もなおこの小事件を思い出す度に、――この不思議に美しい灯取虫の生死を思い出す度に、なぜか彼の心の底に多少の寂しさを感ずるのである。……

同上

 肉体の衰えは確かに精神の衰えと連関している。若かりし頃、肉が弾けんばかりに張り詰め、汗が玉になって滴り落ちていたあの頃、血と脂が炎を欲するように、彼の精神は竜巻のように廻転する刺激を欲していた。乏しい経験が創り出す小さな世界で発生する限られた数の現象に、無限の夢や幻が絡まって、拍動する魂は現実よりも確かな堅くて深い手応えを感じていた。
 肉体的な体力は年齢を重ねてもそれなりに維持できるし、やりようによっては向上させることさえ出来る。だが精神的な体力、言い換えれば集中力や好奇心というものは、どうしたって衰えてくるものだ。経験というものは思考を短絡すると同時に、悩みや苦しみのような深い思考を失わせてしまう。悩みを下らないと断じること、それは解答を知っている者の特権であるが、物事は結果と等しく過程も重要であるから、過程を省略することは処世術としては便利だが、生きることから得られる満足感を減じてしまうのもまた確かだ。そのことを知っていて、その上で苦痛の解消よりも好奇心の湧出を優先する者は、敢えて苦しみ続ける。楽ではない生き方を選び続ける。新しいことには必ず苦しみが伴うことを知っていながら、新しさを求めずにはいられない人間がいると、知って欲しい。彼等は決まって孤独である。経験を積極的に放棄し、馴れ合いを好まない彼等は、必然的に孤独である。野火で燃え尽きた山に唯一本、檜のように真っ直ぐ伸びようと小さな葉を震わせる彼等の孤独を、笑いたければ笑え、嘲るなら嘲ればいい。だが彼等は、広い広い空を独占している。

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