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【随想】芥川龍之介『侏儒の言葉(遺稿)』

 我我は皆我我自身を恥じ、同時に又彼等を恐れている。が、誰も率直にこう云う事実を語るものはない。

芥川龍之介『侏儒の言葉(遺稿)』(短編集『侏儒の言葉・西方の人』)新潮社,1968

 人間的な、余りに人間的なものは大抵確かに動物的である。

同上

 彼は悪党になることは出来ても、阿呆になることは出来ないと信じていた。が、何年かたって見ると、少しも悪党になれなかったばかりか、いつも唯阿呆に終始していた。

同上

 革命に革命を重ねたとしても、我我人間の生活は「選ばれたる少数」を除きさえすれば、いつも暗澹としている筈である。しかも「選ばれたる少数」とは「阿呆と悪党と」の異名に過ぎない。

同上

ありふれた惑星にありふれた歴史を繰り返す
瞬きより短い現象が発生と消滅を繰り返す
環境と反応が偶然と必然を交えて無意味に構築される
ここに意志などない
まして人格なんてある筈もない
創造は時間を形成する道具でしかない
我々がそうあるために我々はそう認識しているし
我々がそう認識するために我々はそうあるだけだ
偶然を神と呼ぶなら必然もまた神格化される
ここには誰もいない
何も証明できない
何一つ確かなものはない
唯言葉があるだけだ
言葉が創造する理屈に依拠せざるを得ない我々は
余りにも人間的で余りにも脆弱だ
世界は生命を消化する
何の意味もなく何の目的もない
ここには誰もいない
阿呆の認識があるだけだ

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