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【随想】芥川龍之介『好色』

 泰平の時代にふさわしい、優美なきらめき烏帽子の下には、下ぶくれの顔がこちらを見ている。そのふっくりと肥った頬に、鮮かな赤みがさしているのは、何も臙脂をぼかしたのではない。男には珍しい餅肌が、自然と血の色を透かせたのである。髭は品の好い鼻の下に、――と云うよりも薄い唇の左右に、丁度薄墨を刷いたように、僅ばかりしか残っていない。しかしつややかな鬢の上には、霞も立たない空の色さえ、ほんのりと青みを映している。耳はその鬢のはずれに、ちょいと上った耳たぶだけ見える。それが蛤の貝のような、暖かい色をしているのは、かすかな光の加減らしい。眼は人よりも細い中に、絶えず微笑が漂っている。殆その瞳の底には、何時でも咲き匂った桜の枝が、浮んでいるのかと思う位、晴れ晴れした微笑が漂っている。が、多少注意をすれば、其処には必しも幸福のみが住まっていない事がわかるかも知れない。これは遠い何物かに、惝怳を持った微笑である。同時に又手近い一切に、軽蔑を抱いた微笑である。頸は顔に比べると、寧ろ華奢すぎると評しても好い。その頸には白い汗衫の襟が、かすかに香を焚きしめた、菜の花色の水干の襟と、細い一線を画いている。顔の後にほのめいているのは、鶴を織り出した几帳であろうか? それとものどかな山の裾に、女松を描いた障子であろうか? とにかく曇った銀のような、薄白い明みが拡がっている。……
 これが古い物語の中から、わたしの前に浮んで来た「天が下の色好み」平の貞文の似顔である。平の好風に子が三人ある、丁度その次男に生まれたから、平中と渾名を呼ばれたと云う、わたしの Don Juan の似顔である。

芥川龍之介『好色』(短編集『羅生門・鼻』)新潮社,1968

 性を遊びとして嗜むのは人間の特徴だ。言葉、技術、宗教、文化、人間と他の動物の間に一線を画し、人間を人間たらしめる要素はたくさんあるが、性欲と本能の離隔、言い換えれば生殖行為の遊戯化、はその最たるものの一つといえる。性欲は種の保存プログラムの柱であり、極めて本能的な衝動と思われるが、そこに理性を混ぜ合わせると、感覚のみならず精神的にも大きな満足と快感をもたらす強力な刺激物へと変化する。これは人類史上屈指の発見だろう。尤も、今や人間が理性を抜きにして純粋に本能に身を委ねることが、逆に困難になってしまったのは、知恵の実を食べた正当な代償なのかも知れない。こねくり回した理屈によって世界が歪んでしまったのもまた事実であろう。

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