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【随想】芥川龍之介『奉教人の死』

 娘が涙をおさめて申し次いだは、「妾は日頃『ろおれんぞ』様を恋い慕うて居ったなれど、御信心の堅固さからあまりにつれなくもてなされる故、つい怨む心も出て、腹の子を『ろおれんぞ』様の種と申し偽り、妾につらかった口惜しさを思い知らそうと致いたのでおじゃる。なれど『ろおれんぞ』様の御心の気高さは、妾が大罪をも憎ませ給わいで、今宵は御身の危さをもうち忘れ、『いんへるの』(地獄)にもまごう火焰の中から、妾娘の一命を辱くも救わせ給うた。その御憐み、御計らい、まことに御主『ぜす・きりしと』の再来かともおがまれ申す。さるにても妾が重々の極悪を思えば、この五体は忽『じゃぼ』の爪にかかって、寸々に裂かれようとも、中々怨む所はおじゃるまい」娘は「こいさん」を致いも果てず、大地に身を投げて泣き伏した。

芥川龍之介『奉教人の死』(短編集『奉教人の死』)新潮社,1968

 まことにその刹那の尊い恐しさは、あだかも「でうす」の御声が、星の光も見えぬ遠い空から、伝わって来るようであったと申す。されば「さんた・るちや」の前に居並んだ奉教人衆は、風に吹かれる穂麦のように、誰からともなく頭を垂れて、悉「ろおれんぞ」のまわりに跪いた。その中で聞えるものは、唯、空をどよもして燃えしきる、万丈の焰の響ばかりでござる。いや、誰やらの啜り泣く声も聞えたが、それは傘張の娘でござろうか。或は又自ら兄とも思うた、あの「いるまん」の「しめおん」でござろうか。やがてその寂寞たるあたりをふるわせて、「ろおれんぞ」の上に高く手をかざしながら、伴天連の御経を誦せられる声が、おごそかに悲しく耳にはいった。して御経の声がやんだ時、「ろおれんぞ」と呼ばれた、この国のうら若い女は、まだ暗い夜のあなたに、「はらいそ」の「ぐろおりや」を仰ぎ見て、安らかなほほ笑みを脣に止めたまま、静に息が絶えたのでござる。…………

同上

 炎は天上へ向かう。まるでそこが本来居るべき場所であるかのように、上へ上へ、立ち昇っていく。恐ろしくも美しい光、魂と世界を結ぶ熱。狂い踊る業炎と共に廻る時、DNAが螺旋を描く意味を知る。肉体を失った魂は、白光に満ちた神国を目指し、螺旋階段を登っていく。それはまるでバレルを駆け抜ける弾丸。信仰によって強く硬く美しい円錐形となった魂の弾丸、遂に肉身の罰を終え解き放たれた喜びの涙石、それは無限の輪廻から脱する最後の回転。それは神の国を基礎づける、一本の螺となる。

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