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【随想】芥川龍之介『邪宗門』③

「こりゃ平太夫、その方が少納言殿の御恨を晴そうと致す心がけは、成程愚かには相違ないが、さればとて又神妙とも申して申されぬ事はない。殊にあの月夜に、覆面の者どもを駆り催して、予を殺害致そうと云う趣向の程は、中々その方づれとも思わされぬ風流さじゃ。が、美福門のほとりは、ちと場所がようなかったぞ。ならば糺の森あたりの、老木の下闇に致したかった。あすこは夏の月夜には、せせらぎの音が間近く聞えて、卯の花の白く仄くのも一段と風情を添える所じゃ。尤もこれはその方づれに、望む予の方が、無理かも知れぬ。就いてはその殊勝なり、風流なのが目出たいによって、今度ばかりはその方の罪も赦してつかわす事にしよう」

芥川龍之介『邪宗門』(短編集『羅生門・鼻』)新潮社,1968

「昔、あの菅原雅平と親う交っていた頃にも、度々このような議論を闘わせた。御身も知っておられようが、雅平は予と違って、一図に信を起し易い、云わば朴直な生れがらじゃ。されば予が世尊金口の御経も、実は恋歌と同様じゃと嘲笑う度に腹を立てて、煩悩外道とは予が事じゃと、再々悪しざまに罵りおった。その声さえまだ耳にあるが、当の雅平は行方も知れぬ」と、何時になく沈んだ御声で、もの思わしげに御呟きなさいました。するとその御容子にひき入れられたのか、暫くの間は御姫様を始め、私までも口を噤んで、しんとした御部屋の中には藤の花の匂ばかりが、一段と高くなったように思われましたが、それを御座が白けたとでも、思ったのでございましょう。女房たちの一人が恐る恐る、
「では、この頃洛中に流行ります摩利の教とやら申すのも、やはり無常を忘れさせる新しい方便なのでございましょう」と、御話の楔を入れますと、もう一人の女房も、
「そう申せばあの教を説いて歩きます沙門には、いろいろ怪しい評判があるようでございませんか」と、さも気味悪そうに申しながら、大殿油の燈心をわざとらしく搔立てました。

同上

「昨晩、何かあったのでございますか」
 程経て平太夫が、心配そうに、こう相手の言を促しますと、摩利信乃法師はふと我に返ったように、又元の静な声で、一言毎に間を置きながら、
「いや、何もあったと申す程の仔細はない。が、予は昨夜もあの菰だれの中で、独りうとうとと眠っておると、柳の五つ衣を着た姫君の姿が、夢に予の枕もとへ歩みよられた。唯、現と異ったは、日頃つややかな黒髪が、朦朧と煙った中に、黄金の釵子が怪しげな光を放っておっただけじゃ。予は絶えて久しい対面の嬉しさに、『ようこそ見えられた』と声をかけたが、姫君は悲しげな眼を伏せて、予の前に坐られたまま、答えさえせらるる気色はない。と思えば紅の袴の裾に、何やら蠢いているものの姿が見えた。それが袴の裾ばかりか、よう見るに従って、肩にも居れば、胸にも居る。中には黒髪の中にいて、えせ笑うらしいものもあった。――」

同上

「やい。おのれらは勿体なくも、天上皇帝の御威徳を蔑に致す心得か。この摩利信乃法師が一身は、おのれらの曇った眼には、唯、墨染の法衣の外に蔽うものもないようじゃが、誠は諸天童子の数を尽して、百万の天軍が守っておるぞよ。ならば手柄にその白刃をふりかざして、法師の後に従うた聖衆の車馬剣戟と力を競うて見るがよいわ」と、末は嘲笑うように罵りました。
 元よりこう嚇されても、それに悸毛を震う様な私どもではございません。甥と私とはこれを聞くと、まるで綱を放れた牛のように、両方からあの沙門を目蒐けて斬ってかかりました。いや、将に斬ってかかろうとしたとでも申しましょうか。と申しますのは、私どもが太刀をふりかぶった刹那に、摩利信乃法師が十文字の護符を、一しきり又頭の上で、振りまわしたと思いますと、その護符の金色が、稲妻のように宙へ飛んで、忽ち私どもの眼の前へは、恐ろしい幻が現れたのでございます。

同上

 ユダヤ教に対するキリスト教のように、バラモン教に対する仏教のように、”邪宗”はいつでも批判から生まれる。時の正義を否定するのは並大抵のことではない。普通は思い付きもしない。21世紀現在、科学を真正面から批判できる者などまず居ない。それは即ち狂人の烙印を押されることに等しい。精神病院の一室で、無に向かって信念と正義を説き続けることができる人間は、確かに神懸かっている。いずれ輪廻の彼方、狂った世界が正常となり、狂人が人間と呼ばれる日が、来るのかも知れない。いやきっと、その日は来る。

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