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【随想】太宰治『愛と美について』

「老人がいいな。」次女は、卓の上に頬杖ついて、それも人さし指一本で方頬を支えているという、どうにも気障な形で、「ゆうべ私は、つくづく考えてみたのだけれど、」なに、たったいま、ふと思いついただけのことなのである。「人間のうちで、一ばんロマンチックな種族は老人である、ということがわかったの。老婆は、だめ。おじいさんで無くちゃ、だめ。おじいさんが、こう、縁側にじっとして坐っていると、もう、それだけで、ロマンチックじゃないの。素晴らしいわ。」

太宰治『愛と美について』(短編集『新樹の言葉』)新潮社,1982

 外はぞろぞろ人の流れ、たいへんでございます。押し合い、へし合い、みんな一様に汗ばんで、それでもすまして、歩いています。歩いていても、何ひとつ、これという目的は無いのでございますが、けれども、みなさん、その日常が侘びしいから、何やら、ひそかな期待を抱懐していらして、そうして、すまして夜の新宿を歩いてみるのでございます。いくら、新宿の街を行きつ戻りつ歩いてみても、いいことは、ございませぬ。それは、もうきまって居ります。けれども幸福は、それをほのかに期待できるだけでも、それは幸福なのでございます。いまのこの世の中では、そう思わなければ、なりませぬ。

同上

 自分という物語は勿論自分が主人公なのだけれども、物語は決して主人公一人で進めることは出来ない。少なくとも舞台が必要であり、そしてそれは自分には作れない。ところが自分以外のあらゆるものは制御が不可能である。それはもう為されるがまま、為されたものは受け入れるしかない。自分の思い通りに進行しない苛立ちや不安とは、制御不可能なものを制御可能だと誤認していることに由来する。他人を自分の望み通りに動かすことは出来ない。もし望んだ通りに動いたように見えても、それはたまたまでしかないし、或いは自分の望みを現実に合わせて修正しただけである。自分自身さえ周囲の状況に動かされている、いわんや他人など。物語とは物語るのではなくて物語られることであり、畢竟全てはなるべくしてなっているということを語り手は理解しなければならない。なるべくしてなるのだから、そうしたければそうなるように状況を作るのだ。そうすれば自然とそこに落ち着く。有機物はやがて腐敗する、無機物はやがて風化する、水は蒸気になって舞い上がり、冷えて固まりまた落ちる。生命が出来ることは、その循環をかき回すことだけである。状況を作ることだけである。作った後は任せるのみ。大切なのは受容。

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