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【随想】芥川龍之介『或阿呆の一生』③

 三十歳の彼はいつの間にか或空き地を愛していた。そこには唯苔の生えた上に煉瓦や瓦の欠片などが幾つも散らかっているだけだった。が、それは彼の目にはセザンヌの風景画と変りはなかった。

芥川龍之介『或阿呆の一生』(短編集『河童・或阿呆の一生』)新潮社,1968

 三十五歳の彼は春の日の当った松林の中を歩いていた。二三年前に彼自身の書いた「神々は不幸にも我々のように自殺出来ない」と云う言葉を思い出しながら。……

同上

 絞罪を待っているヴィヨンの姿は彼の夢の中にも現れたりした。彼は何度もヴィヨンのように人生のどん底に落ちようとした。が、彼の境遇や肉体的エネルギイはこういうことを許す訳はなかった。彼はだんだん衰えて行った。丁度昔スウィフトの見た、木末から枯れて来る立ち木のように。……

同上

「死にたがっていらっしゃるのですってね」
「ええ。――いえ、死にたがっているよりも生きることに飽きているのです」
 彼等はこう云う問答から一しょに死ぬことを約束した。
「プラトニック・スゥイサイドですね」
「ダブル・プラトニック・スゥイサイド」
 彼は彼自身の落ち着いているのを不思議に思わずにはいられなかった。

同上

 彼は最後の力を尽し、彼の自叙伝を書いて見ようとした。が、それは彼自身には存外容易に出来なかった。それは彼の自尊心や懐疑主義や利害の打算の未だに残っている為だった。彼はこう云う彼自身を軽蔑せずにはいられなかった。しかし又一面には「誰でも一皮剝いて見れば同じことだ」とも思わずにはいられなかった。「詩と真実と」と云う本の名前は彼にはあらゆる自叙伝の名前のようにも考えられ勝ちだった。のみならず文芸上の作品に必しも誰も動かされないのは彼にははっきりわかっていた。

同上

 彼は「或阿呆の一生」を書き上げた後、偶然或古道具屋の店に剝製の白鳥のあるのを見つけた。それは頸を挙げて立っていたものの、黄ばんだ羽根さえ虫に食われていた。彼は彼の一生を思い、涙や冷笑のこみ上げるのを感じた。彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだった。

同上

 膿んだ日常に取り残されるように旅路に就いた。狭い海峡に架かる巨大な吊り橋を渡り、そこは大きな島だったが、大陸と呼んでもよいだろう。彷徨する詩人は、どう呼ばれるかを気にする甲斐性も無い。顔の左半分が妙に明るい。きっと海に面しているからだろう。顔の右半分はしっとりとして、どこか霊的だ。初めて訪れた土地を、何もかも知っていた。どうしても、懐かしい。
 商売気の無い住宅街、数少ない信号機の周囲は少しだけ金の匂いがしている。少しだけ、今に媚びているが、疲れたような、諦めたような匂いだ。並んでいる本のどれよりも古めかしい古書店を覗くと、軒先に積まれた鉄道やら山岳やら様々の写真集の上に、著者名もタイトルもない唯のハードカバーが無造作に置かれてある。たとえ地味でも明らかに異質なものは、どんな派手な装幀よりも目を引く。思わず手に取り数ページめくってみると、これは日記のようである。それも、それを今めくっている男の日記である。いつ書いたものだろう、記憶に無い。そして何より、ここにあるべき理由が無い。狂ったのだろうか。誰かを自分だと思い込んでいるのだろうか。それとも、他人と自分の区別もつかない程の、阿呆だったのだろうか。
 目と鼻の無い店主が出てきて、それを持って行けと言った。ありがとう、と答え、無題のハードカバーを手に取り歩き出した。さあ、何処へ行こう。海よりも、山に行きたい。山の物の怪なら、きっとこの心境を言葉にしてくれる気がする。生まれ落ちて、彷徨い続けている。誰よりも静かに狂った詩人の世界は、標高千五百メートルの森のようだった。

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