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【随想】芥川龍之介『戯作三昧』

 老人は丁寧に上半身の垢を落してしまうと、止め桶の湯も浴びずに、今度は下半身を洗いはじめた。が、黒い垢すりの甲斐絹が何度となく上をこすっても、脂気の抜けた、小皺の多い皮膚からは、垢と云う程の垢も出て来ない。それがふと秋らしい寂しい気を起させたのであろう。老人は片々の足を洗ったばかりで、急に力がぬけたように手拭の手を止めてしまった。そうして、濁った止め桶の湯に、鮮かに映っている窓の外の空へ眼を落した。そこには又赤い柿の実が、瓦屋根の一角を下に見ながら、疎に透いた枝を綴っている。
 老人の心には、この時「死」の影がさしたのである。が、その「死」は、嘗て彼を脅したそれのように、忌わしい何物をも蔵していない。云わばこの桶の中の空のように、静ながら慕わしい、安らかな寂滅の意識であった。一切の塵労を脱して、その「死」の中に眠る事が出来たならば――無心な子供のように、夢もなく眠る事が出来たならば、どんなに悦ばしい事であろう。自分は生活に疲れているばかりではない。何十年来、絶え間ない創作の苦しみにも、疲れている。……

芥川龍之介『戯作三昧』(短編集『戯作三昧・一塊の土』)新潮社,1968

 馬琴の空想には、昔から羅曼的な傾向がある。彼はこの風呂の湯気の中に、彼が描こうとする小説の場景の一つを、思い浮べるともなく思い浮べた。そこには重い舟日覆がある。日覆の外の海は、日の暮と共に風が出たらしい。舷をうつ浪の音が、まるで油を揺るように、重苦しく聞えて来る。その音と共に、日覆をはためかすのは、大方蝙蝠の羽音であろう。舟子の一人は、それを気にするように、そっと舷から外を覗いて見た。霧の下りた海の上には、赤い三日月が陰々と空に懸っている。

同上

「どうして己は、己の軽蔑している悪評に、こう煩されるのだろう」
 馬琴は又、考えつづけた。
「己を不快にするのは、第一にあの眇が己に悪意を持っていると云う事実だ。人に悪意を持たれると云う事は、その理由の如何に関らず、それだけで己には不快なのだから、仕方がない」
 彼は、こう思って、自分の気の弱いのを恥じた。実際彼の如く傍若無人な態度に出る人間が少かったように、彼の如く他人の悪意に対して、敏感な人間も亦少かったのである。そうして、この行為の上では全く反対に思われる二つの結果が、実は同じ原因――同じ神経作用から来ていると云う事実にも、勿論彼はとうから気がついていた。

同上

 彼は、この自然と対照させて、今更のように世間の下等さを思出した。下等な世間に住む人間の不幸は、その下等さに煩わされて、自分も亦下等な言動を、余儀なくさせられる所にある。現に今自分は、和泉屋市兵衛を逐い払った。逐い払ったと云う事は、勿論高等な事でも何でもない。が、自分は相手の下等さによって、自分も亦その下等な事を、しなくてはならない所まで押しつめられたのである。そうして、した。したと云う意味は市兵衛と同じ程度まで、自分を卑しくしたと云うのに外ならない。つまり自分は、それだけ堕落させられた訳である。

同上

「まだ何かあるかい?」
「まだね。いろんな事があるの」
「どんな事が?」
「ええと――お祖父様はね。今にもっとえらくなりますからね」
「えらくなりますから?」
「ですからね。よくね。辛抱おしなさいって」
「辛抱しているよ」馬琴は思わず、真面目な声を出した。
「もっと、もっとようく辛抱なさいって」
「誰がそんな事を云ったのだい」
「それはね」
 太郎は悪戯そうに、ちょいと彼の顔を見た。そうして笑った。
「だあれだ?」
「そうさな。今日は御仏参に行ったのだから、お寺の坊さんに聞いて来たのだろう」
「違う」
 断然として首を振った太郎は、馬琴の膝から、半分腰を擡げながら、顋を少し前へ出すようにして、
「あのね」
「うん」
「浅草の観音様がそう云ったの」
 こう云うと共に、この子供は、家内中に聞えそうな声で、嬉しそうに笑いながら、馬琴につかまるのを恐れるように、急いで彼の側から飛び退いた。そうしてうまく祖父をかついだ面白さに小さな手を叩きながら、ころげるようにして茶の間の方へ逃げて行った。
 馬琴の心に、厳粛な何物かが刹那に閃いたのは、この時である。彼の脣には、幸福な微笑が浮んだ。それと共に彼の眼には、何時か涙が一ぱいになった。この冗談は太郎が考え出したのか、或は又母が教えてやったのか、それは彼の問う所ではない。この時、この孫の口から、こう云う語を聞いたのが、不思議なのである。
「観音様がそう云ったか。勉強しろ。癇癪を起すな。そうしてもっとよく辛抱しろ」
 六十何歳かの老芸術家は、涙の中に笑いながら、子供のように頷いた。

同上

 どれだけ高尚な思想を洗練させても、どこまでも現実は現実で、肉体は老い、腹は減り、糞は出て、誰かを憎み、誰かを愛で、いつまでたっても我執を捨てられず、悟りは得られない。没頭している間は神になったような気さえするのに、眠気と空腹が神を人間に戻してしまう。全てを愛そうという誓いは、たった一言の憎まれ口や陰口で、あっさり破られるのだ。全てを許そうという覚悟は、横暴な老人の振る舞い一つで、あっさり忘却されるのだ。自分の器の矮小さを、自分で量ることは出来なくて、他人を見てあれよりはマシだと思い込む。そんな愚かさや醜さを、自覚出来る程には賢い者は、寧ろ鳥や魚になりたいと思う。

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