生命もまた、あらゆる存在と等しく、一瞬の現象に過ぎない。過去も未来も無く、唯今この瞬間、この現在、この認識、この存在感覚こそが生命であって、それ以上でもそれ以下でもない。独立した瞬間々々の連続性、アニメーションのような連なりを我々は一つの世界だと思っているが、そこには何の根拠も無い。時空間が相対的なものであると知っても尚、世界は一つだと思っているし、現実的に、そう思う事しかできない。本当は、それこそ大河の砂の数程ある世界の一つかも知れないのに。
誰も居なくて、何も無くて、始まりも無くて、終わりも無い。何も無いからこそ、全てが有る、全てが有り得る。宇宙開闢、所謂ビッグバンとは、観念の誕生である。