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【随想】芥川龍之介『俊寛』

 俊寛様は御文を御置きになると、じっと腕組みをなすったまま、大きい息をおつきになりました。
「姫はもう十二になった筈じゃな。――おれも都には未練はないが、姫にだけは一目会いたい」
 わたしは御心中を思いやりながら、唯涙ばかり拭っていました。
「しかし会えぬものならば、――泣くな。有王。いや、泣きたければ泣いても好い。しかしこの娑婆世界には、一々泣いては泣き尽せぬ程、悲しい事が沢山あるぞ」
 御主人は後の黒木の柱に、ゆっくり背中を御寄せになってから、寂しそうに御微笑なさいました。
「女房も死ぬ。若も死ぬ。姫には一生会えぬかも知れぬ。屋形や山荘もおれの物ではない。おれは独り離れ島に老の来るのを待っている。――これがおれの今のさまじゃ。が、この苦艱を受けているのは、何もおれ一人に限った事ではない。おれ一人衆苦の大海に、没在していると考えるのは、仏弟子にも似合わぬ増長慢じゃ。『増長驕慢、尚非世俗白衣所宜』艱難の多いのに誇る心も、やはり邪業には違いあるまい。その心さえ除いてしまえば、この粟散辺土の中にも、おれ程の苦を受けているものは、恒河沙の数より多いかも知れぬ。いや、人界に生れ出たものは、たといこの島に流されずとも、皆おれと同じように、孤独の歎を洩らしているのじゃ。村上の御門第七の王子、二品中務親王六代の後胤、仁和寺の法印寛雅が子、京極の源大納言雅俊卿の孫に生れたのは、こう云う俊寛一人じゃが、天が下には千の俊寛、万の俊寛、十万の俊寛、百億の俊寛が流されている。――」

芥川龍之介『俊寛』(短編集『羅生門・鼻』)新潮社,1968

 生命もまた、あらゆる存在と等しく、一瞬の現象に過ぎない。過去も未来も無く、唯今この瞬間、この現在、この認識、この存在感覚こそが生命であって、それ以上でもそれ以下でもない。独立した瞬間々々の連続性、アニメーションのような連なりを我々は一つの世界だと思っているが、そこには何の根拠も無い。時空間が相対的なものであると知っても尚、世界は一つだと思っているし、現実的に、そう思う事しかできない。本当は、それこそ大河の砂の数程ある世界の一つかも知れないのに。
 誰も居なくて、何も無くて、始まりも無くて、終わりも無い。何も無いからこそ、全てが有る、全てが有り得る。宇宙開闢、所謂ビッグバンとは、観念の誕生である。

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