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【随想】太宰治『新ハムレット』②
ホレーショー、いい加減の事を言うのは、よせよ。古い、新しいの問題じゃない。現世主義者は、いつでもそうなんだ。叔父さんは、現世の幸福を信じているんだ。叔父さんとしては当然の意見だ。僕だって、それくらいの事は、はじめっから知っていたさ。問題は、そこだよ。そこが苦しいところなんだ。忍従か、脱走か、正々堂々の戦闘か、あるいはまた、いつわりの妥協か、欺瞞か、懐柔、 to be, or not to be, どっちがいいのか、僕には、わからん。わからないから、くるしいのだ。
むだな事だ。
そんな、いじらしい言葉は、むだです。
お前は、その花聟の心を知らぬ。
お前の愛するその騎士は、お前が去って三日目に、きっとお前を忘れます。
うつくしい、それゆえ脆い罪のおんなよ。
お前は、やがてあの世で、わしがきょう迄くるしんだ同じ苦しみを嘗めるのだ。
嫉妬。
それがお前の、愛されたいと念じた揚句の収穫だ。
実に、見事な収穫だ。
いまに、その花嫁の椅子には、お前よりもっと若く、もっと恥じらいの深い小さい女が、お前とそっくりの姿勢で腰かけて、花聟にさまざまの新しい誓い立てさせ、やがて子供を産むだろう。
この世では、軽薄な者ほど、いつまでも皆に愛されて、仕合せだ。
さあ、行こう。
わしとお前だけは、
雨風にたたかれながら、
飛び廻り、泣き叫び、駈けめぐる!
僕の疑惑は、僕が死ぬまで持ちつづける。
二元論。畢竟全ての事象は、そうであるか、そうでないか、の二種類しかないと言う論理。生きているか、生きていないか。やるか、やらないか。成功か、成功でないか。勝利か、勝利でないか。そうであり且つそうではない何かという可能性の排除。真中は有り得ない。中間とは理想上の存在であり、現実は必ずどちらかに属している。
だが、50パーセントと50パーセントの間にはきっと或る何かが存在していると、そう信じたい。無限に小さいパーセント、普通は知覚出来ない幽霊の如き可能性、夢幻と現実を繋ぐ何かが、それが無ければ宇宙がバラバラになってしまうようなそんな何かが、きっと在るのだと信じたい、信じ抜くと自分に誓おう。
人は何をもって世界を世界と認識するのか。アプリオリとは何か。何故赤児は乳首を吸うのか、瞳を見つめるのか、意識を保っていられるのか。誰にも教わっていないのに、自分という概念さえ持っていないのに。それはきっと、50パーセントと50パーセントの間にある何かを持っているからだ。その目が開くはるか以前から、羊水の闇を漂っているその時から、初めて細胞分裂をしたその時から、既にそれを持っていたから、この世界に飛び出して来れたのだ。赤児は生まれる瞬間、その手に確かに何かを握っている。
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