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【随想】宮沢賢治『カイロ団長』

 カイロ団長は怒って叫び出しました。
「えい、馬鹿者め意気地なしめ。
 えい、ガーアアアアアアアアア。」カイロ団長は何だか変な顔をして口をパタンと閉じました。ところが「ガーアアアアアアア」と云う音はまだつづいています。それは全くカイロ団長の咽喉から出たのではありませんでした。かの青空高くひびきわたるかたつむりのメガホーンの声でした。王さまの新しい命令のさきぶれでした。
「そら、あたらしいご命令だ。」と、あまがえるもとのさまがえるも、急いでしゃんと立ちました。かたつむりの吹くメガホーンの声はいともほがらかにひびきわたりました。
「王さまの新しいご命令。王さまの新しいご命令。一個条。ひとに物を云いつける方法。ひとに物を云いつける方法。第一、ひとにものを云いつけるときはそのいいつけられるものの目方で自分のからだの目方を割って答を見つける。第二、云いつける仕事にその答をかける。第三、その仕事を一ぺん自分で二日間やって見る。以上。その通りやらないものは鳥の国へ引き渡す。」

宮沢賢治『カイロ団長』(童話集『新編 銀河鉄道の夜』)新潮社,1989

 とのさまがえるはチクチク汗を流して、口をあらんかぎりあけて、フウフウといきをしました。全くあたりがみんなくらくらして、茶色に見えてしまったのです。
「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトショ。」
 とのさまがえるは又四へんばかり足をふんばりましたが、おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲ってしまいました。あまがえるは思わずどっと笑い出しました。がどう云うわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、この時のさびしいことと云ったら私はとても口で云えません。みなさんはおわかりですか。ドッと一緒に人をあざけり笑ってそれから俄かにしいんとなった時のこのさびしいことです。

同上

 人は皆似ている。明日は我が身、誰かの不幸はいつかの自分の不幸だ。他人に同情し、他人と喜怒哀楽を共有できる、時には他人の感情を本人以上に強く感じることさえある。それは人が皆似ているからだ。逆に人から離れれば離れるほど同情はし難くなる。人よりは動物、動物よりは植物、植物よりは微生物、微生物よりは無生物に対して、人は同情心を持ち難くなる。何かを破壊し、加工し、使用し、摂取できるのは、それが人から遠いからだ。形、音、色、におい、行動、それらが人に近いほど破壊は困難になる。想像力、さらに云えば共感力、人が集団社会を築き得る理由は畢竟この力によると云ってよい。互いに互いの苦痛を知り、幸福を知り、一つの成果や感情を皆で共有する能力によって、人は集団を維持し共に助け合って生きることができる。それ故殺人は重罪である。法や理屈ではなく、もっと根源的な本能として殺人を忌避する。殺人は人間社会における最大の裏切りなのだ。そして殺人を頂点として、より苦痛の大きいものをより重い罪に設定する。労働も苦痛を伴うものであるが、労働は成果という幸福も産みだすため社会に容認されている。だが度が過ぎた労働は幸福よりも苦痛が上回る、よってそれを強いることは罪とされる。生きることと労働は違う。生きるとは自分の生命を維持することであり、労働とは他人のために独力或いは協同で成果を生み出すことである。労働は他人のためにする、だからこそ他人が自分に労働対価を支払ってくれる、つまり報酬が発生するのだ。自分が自分のために行う労働、例えば家事に報酬が発生しないのは当然だ、対価を支払う者がいないのだから。また人が他人のために労働することができるのは、人が皆似ているからだ。似ているから求めるものが似ている。似ているから不要なものも似ている。何がしたくて、何をしたくないのかが分かるから、他人の為に、他人の代わりに労働するという行為が成立する。人が皆似ていることを忘れ、己が利益を追求し、己の為の労働が当たり前のものとして蔓延するようになった社会は、きっと遠からず破綻するだろう。

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素晴らしいことです素晴らしいことです