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【随想】太宰治『兄たち』

「あッ、菊池寛だ。」と小さく叫んで、ふとったおじいさんを指さします。とても、まじめな顔して、そういうのですから、私も、信じないわけには、いかなかったのです。銀座の不二屋でお茶を飲んでいたときにも、肘で私をそっとつついて、佐佐木茂索がいるぞ、そら、おまえのうしろのテエブルだ、と小声で言って教えてくれたことがありますけれど、ずっとあとになって、私が直接、菊池先生や佐佐木さんにお目にかかり、兄が私に嘘ばかり教えていたことを知りました。兄の所蔵の「感情装飾」という川端康成氏の短篇集の扉には、夢川利一様、著者、と毛筆で書かれて在って、それは兄が、伊豆かどこかの温泉宿で川端さんと知り合いになり、そのとき川端さんから戴いた本だ、ということになっていたのですが、いま思えば、これもどうだか、こんど川端さんにお逢いしたとき、お伺いしてみようと思って居ります。ほんとうであって、くれたらいいと思います。けれども私が川端さんから戴いているお手紙の字体と、それから思い出の中の、夢川利一様、著者、という字体とは、少し違うように思われるのです。兄は、いつでも、無邪気に人を、かつぎます。まったく油断が、できないのです。ミステフィカシオンが、フランスのプレッシュウたちの、お道楽の一つであったそうですから、兄にも、やっぱり、この神秘捏造の悪癖が、争われなかったのであろうと思います。

太宰治『兄たち』(短編集『新樹の言葉』)新潮社,1982

 それから、二月経って、兄は仕事を完成させずに死んでしまいました。様子が変だとWさん御夫婦も言い、私も、そう思いましたので、かかりのお医者に相談してみましたら、もう四五日とお医者は平気で言うので、私は仰天いたしました。すぐに、田舎の長兄へ電報を打ちました。長兄が来るまでは、私が兄の傍に寝て二晩、のどにからまる痰を指で除去してあげました。長兄が来て、すぐに看護婦を雇い、お友だちもだんだん集り、私も心強くなりましたが、長兄が見えるまでの二晩は、いま思っても地獄のような気がいたします。暗い電気の下で兄は、私にあちこちの引き出しをあけさせ、いろいろの手紙や、ノオトブックを破り棄てさせ、私が、言いつけられたとおり、それをばりばり破りながらめそめそ泣いているのを、兄は不思議そうに眺めているのでした。私は、世の中に、たった私たち二人しかいないような気がいたしました。

同上

 安心感。肉親の有り難さとは、切っても切れない切りようが無い関係性、無条件の連帯。具体的な支援ではなく、存在しているという事実だけで世界を彩ってしまう、人格の基礎の一部を形成する、礎石のような安心感だ。それだけでいい、それ以上はむしろ余計だ。だからなるべく関わらない。関わるほどに足が重くなるから。大気のように当然に在るもの、それは生死さえ問題ではない。愛、感謝、恨み、憎しみ、わだかまり、放置された感情、それら全てが大したことではない。風に、吹くんじゃない、と叫んでも無意味だ。大気に、漂うな、と訴えても無駄だ。解決や、整理や、残置など、何ら問題ではない。安心感とはそういうものだ。

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