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【随想】芥川龍之介『或阿呆の一生』②

 彼は大きい檞の木の下に先生の本を読んでいた。檞の木は秋の日の光の中に一枚の葉さえ動さなかった。どこか遠い空中に硝子の皿を垂れた秤が一つ、丁度平衡を保っている。――彼は先生の本を読みながら、こう云う光景を感じていた。……

芥川龍之介『或阿呆の一生』(短編集『河童・或阿呆の一生』)新潮社,1968

 人生は二十九歳の彼にはもう少しも明るくはなかった。が、ヴォルテエルはこう云う彼に人工の翼を供給した。
 彼はこの人工の翼をひろげ、易やすと空へ舞い上った。同時に又理智の光を浴びた人生の歓びや悲しみは彼の目の下へ沈んで行った。
 彼は見すぼらしい町々の上へ反語や微笑を落しながら、遮るもののない空中をまっ直に太陽へ登って行った。丁度こう云う人工の翼を太陽の光りに焼かれた為にとうとう海へ落ちて死んだ昔の希臘人も忘れたように。……

同上

「何の為にこいつも生れて来たのだろう? この娑婆苦の満ちた世界へ。――何の為に又こいつも己のようなものを父にする運命を荷ったのだろう?」
 しかもそれは彼の妻が最初に出産した男の子だった。

同上

 田舎道は日の光りの中に牛の糞の臭気を漂わせていた。彼は汗を拭いながら、爪先き上りの道を登って行った。道の両側に熟した麦は香ばしい匂を放っていた。
「殺せ、殺せ。……」
 彼はいつか口の中にこう云う言葉を繰り返していた。誰を?――それは彼には明らかだった。彼は如何にも卑屈らしい五分刈の男を思い出していた。
 すると黄ばんだ麦の向うに羅馬カトリック教の伽藍が一宇、いつの間にか円屋根を現し出した。……

同上

 それはどこか熟し切った杏の匂に近いものだった。彼は焼けあとを歩きながら、かすかにこの匂を感じ、炎天に腐った死骸の匂も存外悪くないと思ったりした。が、死骸の重なり重った池の前に立って見ると、「酸鼻」と云う言葉も感覚的に決して誇張でないことを発見した。殊に彼を動かしたのは十二三歳の子供の死骸だった。彼はこの死骸を眺め、何か羨ましさに近いものを感じた。「神々に愛せらるるものは夭折す」――こう云う言葉なども思い出した。彼の姉や異母弟はいずれも家を焼かれていた。しかし彼の姉の夫は偽証罪を犯した為に執行猶予中の体だった。……
「誰も彼も死んでしまえば善い」
 彼は焼け跡に佇んだまま、しみじみこう思わずにいられなかった。

同上

 死ぬときは一人で死ぬ? いや一人では死ねないね。道連れにするんじゃないぜ。ただ、死ぬときはみんな死ぬのさ。或一人が死ぬとき、そいつとみんなが死ぬ。君は生きている。そりゃそうさ、君が誰かを知っていたって、君が誰かに知られていたって、君は君でしかないし、君は君以外の誰とも何の関係も無い。知っている、知られているなんて、何の関係も無い。愛しているとか、触れ合っているとか、憎み合っているとか、殺したくなる程触れ合っているとか、そんなの全部関係無い。君が死ぬとき、みんな死ぬ。君はまだ死んでいない。だからみんな生きている。君が生きているのは誰のお陰でもない。君が生きているから君は生きている。全部君のせいさ。君は死ぬ。いつか死ぬ。でも、死ぬって何だ。終わりか? 消失か? 真っ暗になることか? 何もかもが無意味になることか? 違うね、全然違う。死ぬってことは、死なんてものは、無いんだよ。話が違う? いいんだよ。死を前提にして君を定義した、だから死は無意味になるんだ、死が消失するんだ。君は、どこにもいない。だから君は何の意味も無く定義された。定義の為に定義された。つまり、消えたんだ。死んだことにして、死を眺めてみようか。君を死んだことにして、君は君になれよ。


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