見出し画像

【随想】太宰治『秋風記』

 わかっているのだ。みんな、みんな、わかっているのだ。Kは、私を連れて旅に出る。この子を死なせてはならない。
 その日の真夜中、ふたり、汽車に乗った。汽車が動き出して、Kも、私も、やっと、なんだか、ほっとする。
「小説は?」
「書けない。」
 まっくら闇の汽車の音は、トラタタ、トラタタ、トラタタタ。
「たばこ、のむ?」
 Kは、三種類の外国煙草を、ハンドバッグから、つぎつぎ取り出す。
 いつか、私は、こんな小説を書いたことがある。死のうと思った主人公が、いまわの際に、一本の、かおりの高い外国煙草を吸ってみた、そのほのかなよろこびのために、死ぬること、思いとどまった、そんな小説を書いたことがある。Kは、それを知っている。
 私は、顔をあからめた。それでも、きざに、とりすまして、その三種類の外国煙草を、依怙贔屓なく、一本ずつ、順々に吸ってみる。

太宰治『秋風記』(短編集『新樹の言葉』)新潮社,1982

 Kも、私も、くたくたに疲れていた。その日湯河原を発って熱海についたころには、熱海のまちは夕靄につつまれ、家家の灯は、ぼっと、ともって、心もとなく思われた。
 宿について、夕食までに散歩しようと、宿の番傘を二つ借りて、海辺に出て見た。雨天のしたの海は、だるそうにうねって、冷いしぶきをあげて散っていた。ぶあいそな、なげやりの感じであった。
 ふりかえって、まちを見ると、ただ、ぱらぱらと灯が散在していて、
「こどものじぶん、」Kは立ちどまって、話かける。「絵葉書に針でもってぷつぷつ穴をあけて、ランプの光に透かしてみると、その絵葉書の洋館や森や軍艦に、きれいなイルミネエションがついて、――あれを思い出さない?」
「僕は、こんなけしき、」私は、わざと感覚の鈍い言いかたをする。「幻燈で見たことがある。みんなぼっとかすんで。」

同上

 見たもの、聞いたもの、嗅いだもの、触ったもの、感じたもの、それが全てだ。それ以外は無い。それ以外は何も知らない。想像はあくまで想像だ。空想だ、存在しない、本物じゃない、それは夢、それは幻、それは経験の予約、仮の体験、自分の中にある記憶の変形、希望に沿った変異体。重力を捉えることは出来ない。生物にとって真実とは自分が理解納得出来る「形」を実現したものでしかない。気付いただろうか。つまり実在の証拠など何も無いことに。夏は終わりを告げない。秋は始まりの幕を開けない。静かに、密かに、入れ替わっている。

この記事が参加している募集

素晴らしいことです素晴らしいことです